SUGIZO、アーティストとして音楽と社会活動で平和を訴え「祖父の無念さが僕の原点」

ロックバンドのLUNA SEA、X JAPAN、THE LAST ROCKSTARS、SHAGでギタリスト、バイオリニストとして活躍するSUGIZOは、幼少時代に父方の祖母から祖父が戦地で命を落としたことを聞いた。全てを戦争に差し出すことが国民に求められた時代。祖母が大切にしていたアルバムには、召集令状が届いた自宅で、「バンザイ!」と喜ぶ人たちに囲まれ、2歳の父を抱いた祖父の写真が残っている。「戦争や平和への気持ちに敏感なのは、肉親の無念さを感じていたから」。戦後78年。SUGIZOに反戦への思いを聞いた。

ウクライナの国民的アーティストKAZKAを招き、ライブを行ったSUGIZO(右から2番目)
ウクライナの国民的アーティストKAZKAを招き、ライブを行ったSUGIZO(右から2番目)

102歳で亡くなった祖母…夫の帰還を信じ独身を貫いた

 ロックバンドのLUNA SEA、X JAPAN、THE LAST ROCKSTARS、SHAGでギタリスト、バイオリニストとして活躍するSUGIZOは、幼少時代に父方の祖母から祖父が戦地で命を落としたことを聞いた。全てを戦争に差し出すことが国民に求められた時代。祖母が大切にしていたアルバムには、召集令状が届いた自宅で、「バンザイ!」と喜ぶ人たちに囲まれ、2歳の父を抱いた祖父の写真が残っている。「戦争や平和への気持ちに敏感なのは、肉親の無念さを感じていたから」。戦後78年。SUGIZOに反戦への思いを聞いた。(取材・文=西村綾乃)

 SUGIZOの祖父が兵役に就いたのは終戦間際のこと。太平洋戦争の激戦地・パプアニューギニア領ブーゲンビル島で軍務に就き、2度と日本の地を踏むことはなかった。

「医師だった祖父は、軍医として徴兵されたと聞いています。終戦後に国から『1945年にブーゲンビル島で亡くなった』という手紙が届き、その死を知ったと祖母に聞きました。被弾したのか、飢え死にしたのか、捕虜になり拷問されたのか、その詳細は分からない。遺体も遺品もなく、分かっているのは、結婚して2年目の年に徴兵され、3歳に満たない僕の父を残し帰らぬ人になったということだけです」

 約10万人が亡くなった東京大空襲では、胸に抱いた父を守り抜いた祖母。30歳で息子を出産した後、2014年に102歳で亡くなるまで再婚もせずに独身を貫いた。

「おばあちゃん子だった僕は、幼稚園くらいのときから遺族会についていくようになりました。『おじいちゃんは、戦争で亡くなったんだよ』と聞き、戦争に違和感や嫌悪感を抱くように。その思いはやがて大人になり反戦の思いにつながっていきました」

 非戦への思いは、『ENOLA GAY』、『Rebellmusik』など自作曲でも表現してきた。ライブでは、マザー・テレサや、ダライ・ラマなど平和のために尽力した人物の写真や映像を、ステージの背面に映し出す場面もある。

 1996年に長女が誕生してからは、子どもの貧困や難民問題。環境破壊などについても興味を持つように。輪が広がり、2019年にはアパレル・ブランド「tenbo」(千葉・木更津市)が原爆が投下された8月6日に広島で初開催したショー『Pray for Peace Collection』に出演。全国から寄せられる折り鶴を再利用したドレスなどを身に付けたモデルらと共に、平和の大切さを訴えた。

「広島や長崎などで行われ、今年6月23日に初めて那覇での開催が実現しました。僕はダイビングが好きなので恩納村に行く機会は何度もあるのですが、『慰霊の日』に沖縄にいるという意味を大切にしようと、今回初めて南部の糸満にある、沖縄県平和祈念資料館を訪れました。3時間ほど滞在しましたが、胸が締め付けられる思いでした」

 約20万人が死亡した沖縄戦について学ぶ中で、現在戦火に包まれているウクライナの姿が重なった。

「暮らしを一変させてしまうのが戦争。子どもや女性などの弱者が巻き添えになるのは許せないことです。負のエネルギーは、負しか生まない。過去の歴史から学び、悪い連鎖はすぐに断つべきです」

「一刻も早くウクライナに穏やかな日が戻るように」。今夏。SUGIZOはウクライナ現状を知ってほしいと、同国の国民的なアーティスト、KAZKAをソロツアーの最終公演に招いた。会場には日本で避難生活を送るウクライナの人たちも招待。愛と平和をテーマにした共作曲『ONLY LOVE, PEACE&LOVE』を世界初披露した。

「KAZKAは今もキーウを拠点に活動しています。どんな状況下にあっても『音楽を止めない』という姿勢。命を懸けて日本にやって来た彼らを尊敬しています。共作した曲は元々あった僕の曲をベースに、『ウクライナの伝統的な音を入れて』とお願いして生まれたもの。演奏しているときは幸せ過ぎて、ずっとステージに立っていたいと思っていました」

 音楽が心を1つにした感動的な時間。それは16年から訪問している中東各地の難民キャンプでも感じたことだ。

「キャンプを訪れた際に、『演奏してほしい』と言われました。最初は難民の方々に向けて音楽を鳴らすことは不謹慎ではないかと抵抗感があったのですが、演奏をするとみんな笑顔で喜んでくれた。踊ったり、手をたたいたり、音楽によって解放された姿を見て、争いのただ中にあっても、音楽、演劇や文学、絵画などの芸術は人間に不可欠であると感じました。抗争、天災などたくさんの命が犠牲になった場所で演奏するときは、そこに光りを当てたいと、鎮魂の思いを込めて演奏しています。命の尊さをかみしめながら、音楽を発信し続けたい」

 78年度目の終戦の日を迎え、願うのは「終戦が続くように」ということ。

「面識はないのですが(21年に死去した)瀬戸内寂聴さんが、『今の日本の空気は、戦前と似ている』とおっしゃっていたインタビューを読み、その言葉が心に響きました。過去の大戦を知る人の言葉を重く受け止め、武力ではないほかの道を僕らは探さなくてはいけないと強く思います。昭和の時代と違い、SNSやインターネットなどがある現在は、誰もが表現者になれる。同調圧力もあり、自分の意思を発信しにくいと感じるかもしれないけれど、口をつむがずに。行動すべきときは行動することが大切です。

 僕は縄文時代に興味があり以前から、勉強しているのですが、縄文は1万5千年くらい続いた中で、抗争などが起こったことがないであろう平和な時代でした。僕らは利己的な世界で生きているけれど、縄文は真逆で利他的な考えを持っていたはずです。僕らの国の源流である縄文の世界から学ぶべきこともたくさんあると感じます」

 日本から約5000キロ離れた南太平洋のブーゲンビル島で戦禍に散った祖父。「島にはまだ行ったことがないのですが、自分のルーツがある場所。いつか必ず訪れたい」と思いを込めた。

□SUGIZO(スギゾー)1969年7月8日、神奈川県生まれ。作曲家、ギタリスト、バイオリニスト、音楽プロデューサー。LUNA SEAのギタリスト・バイオリニストとして、92年にデビュー。97年にシングル『LUCIFER』でソロ活動をスタートした。難民支援のほか、被災地へのボランティア活動などにも従事。2009年に、X JAPANに正式メンバーとして加入。20年にサイケデリック・ジャムバンド SHAGを12年振りに再始動。22年11月には、YOSHIKI、HYDE、MIYAVIらと共に新たなバンド、THE LAST ROCKSTARSを結成。同年、環境へ配慮した自身のアパレル・ブランド「THE ONENESS」を設立し、売り上げの一部を平和活動団体に寄付するなど社会的な活動にも力を入れている。

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