おかけんた・ゆうたのおかゆうたさんが61歳で死去 脳内出血のため 10日前の舞台が最後に「1日でも長くやりたい」

吉本興業は25日、お笑いコンビ・おかけんた・ゆうたのおかゆうたさん(本名・井元保則)が22日、脳内出血のため、大阪市内で亡くなったと公表した。61歳だった。通夜は26日、告別式は27日に執り行われる予定。喪主は長男の井元拓斗さんが務める。

おかけんた・ゆうたのおかゆうたさん【写真:(C)YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.】
おかけんた・ゆうたのおかゆうたさん【写真:(C)YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.】

相方・おかけんた「こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません」

 吉本興業は25日、お笑いコンビ・おかけんた・ゆうたのおかゆうたさん(本名・井元保則)が22日、脳内出血のため、大阪市内で亡くなったと公表した。61歳だった。通夜は26日、告別式は27日に執り行われる予定。喪主は長男の井元拓斗さんが務める。

 おかゆうたさんは、鹿児島県出身。1981年、吉本新喜劇の人気座員だった岡八郎に弟子入り。83年、NSC(吉本総合芸能学院)を1期生として卒業した後に、岡八郎に弟子入りしたおかけんたとコンビを結成した。

 1986年に「第17回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞を受賞。同年から心斎橋筋2丁目劇場に出演し、同年代のダウンタウンらと共に同劇場の看板芸人たちで構成される「2丁目探検隊」のメンバーに選ばれた。87年に放送が開始された毎日放送『4時ですよーだ』にもレギュラー出演し、人気を得た。

『4時ですよーだ』終了後は、なんばグランド花月など劇場を中心に活動し、97年に「第32回上方漫才大賞」奨励賞、99年に「第34回上方漫才大賞」大賞を受賞した。

 2012年に吉本百年物語10月公演「これで誕生!吉本新喜劇」に出演。20年ごろに体調を崩してコンビでの活動は休止状態になっていたが、今年8月15日、大阪・YES THEATER「よしもとお笑いライブ」にて、これから始まるコンビ結成40周年のプロローグとして漫才を披露したのが最後の舞台になった。

 公演終了後には、「40年はほんまにあっちゅうまでした」「1日でも長くやりたい」などと話していたという。

 相方・おかけんたのコメントは以下の通り。

週3で透析を受けていた、ゆうたくん。
私が劇場にいると、
「おっ、相方どやねん」「ゆうた、元気してんの?」と皆さんが声をかけてくださいました。私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません。そんな時、相方からポツンときたメール、「漫才やりたいです。」涙が止まりませんでした。
それが実現した、台風の最中での3年半ぶりの漫才。舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくてたまりませんでした。
漫才が終わって、取材を受けた時のゆうたくんの言葉「1日でも長くやりたいというのがあるからね」
ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。
この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ~漫才♪しょーな。
今までありがとう。
最高の相方、おかゆうたくん。

次のページへ (2/2) 【写真】3年半ぶりの漫才を披露していた舞台での姿
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