「亡くなってからのほうが猪木さんを思い出す」 古舘伊知郎氏が自身初の実況小説に込めた思い

7月31日、東京・秋葉原の書泉ブックセンターで、“世界最強の闘魂の語り部”古舘伊知郎氏が自身初となる実況小説「喋り屋いちろう」(集英社)の出版を記念したイベントが開催され、著者である古舘氏がイベント前に囲み取材に応じた。今回は、同取材を通じて見えて来たものを記述する。

A猪木がケイタイをかける時のしぐさを再現する古舘氏
A猪木がケイタイをかける時のしぐさを再現する古舘氏

「白金ですか?」

 7月31日、東京・秋葉原の書泉ブックセンターで、“世界最強の闘魂の語り部”古舘伊知郎氏が自身初となる実況小説「喋り屋いちろう」(集英社)の出版を記念したイベントが開催され、著者である古舘氏がイベント前に囲み取材に応じた。今回は、同取材を通じて見えて来たものを記述する。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「喋り屋いちろう」を読んでいくと、古舘氏が超過激実況アナウンサーとして誕生した場面の記述がある。

「読める。猪木さんの瞳に映るものが……猪木さんと一緒になって闘う。そして舌先で踊ろう。いちろうはリング上の猪木と一体化した自分を発見した。試合をなぞるだけではなく、自ら試合に入り込む。自分が無になって猪木と一体化する。猪木という磁力に振り回される、コマのように」

 おそらく古舘実況の真髄はこれなのだろうと思った。

 また、囲み取材のなかで、古舘氏が「白金ですか?」と自分に問いかける場面があった。

 手前みそになるが、自分は猪木が亡くなる10日前、アントニオ猪木のYouTubeチャンネル「最後の闘魂」でインタビュー取材をさせてもらった。そのことを伝えると、古舘氏からこの言葉が返って来たのだ。白金とは、猪木さんが最後に住まわれていたマンションがあった場所のこと。タワマンの最上階にあった部屋からは富士山も眺めることができた。まさか10日後に一生会えなくなってしまうとは思っていなかったが、結果的にはその時の取材映像が「最期の言葉」として地上波のニュース番組他で広く扱われることになった。

 ちなみに古舘氏は、「A猪木お別れの会」(3月7日、両国国技館)でのあいさつ(弔辞)をされた際、「猪木さんが旅立つ4日ほど前、私は猪木さんのお見舞いに行きました。もうほとんど猪木さんはしゃべれない状態でした」と明かしていた。

 実は自分が10日前に取材をさせてもらった際には、猪木から取材陣に対して、フルーツと一緒に「ガリガリ君」が振る舞われた。当然、古舘氏との関係性なら「ガリガリ君」はもちろん、それ以上に印象深い食事の席を何度もご一緒されていると思い、それを是非、聞いてみたいと思った。

実況小説「喋り屋いちろう」を上梓した古舘伊知郎氏
実況小説「喋り屋いちろう」を上梓した古舘伊知郎氏

猪木さんはもの凄く人に気を遣う人

「『ガリガリ君』は亡くなる前の日にも食べているんですよね。だから『ガリガリ君』もそうですけど、白金の前の麻布時代もそうですし、しょっちゅう行っていたので、いつどうなるかと思ったし。猪木さんはもの凄く人に気を遣う人なんですよ。自分の信者が周りにいることも好きで、にぎやかな座の周りにいることが好きな人なんです。だけど本当にヤバい状態になっているんだから、そういう場をつくる必要はないと思うんだけど、猪木さんは必ず、誘う時の電話も『元気ですかーッ!』て振り絞ってくれるわけですよ。声が出ないのに」

 そういって、猪木話をしはじめると、身勝手ながら古舘氏の目がキラリと光ったように見えた。

 古舘氏の話を続けよう。

「それで、『俺は元気だけど、猪木さんは……』って言うと、『元気じゃないよ……』って素の声になるわけですよ。しかも人の声をさえぎって、『うまいフグを食ってくれるかな?』って声を振り絞ってくれる。つまり『うまいフグ』で釣ってくれるんです」

 しかし、誘った本人の猪木は何も食べることができない。だってほぼ点滴からの栄養だけで暮らしているのだから。

「しかも俺以外の人にしても、ケンカにならない仲のいい人たちを呼んでくれていて。ちゃんと座をつくって、自分は車椅子の状態でそこにいる。途中で水をちょっとストローで飲んだりする。それで苦しくなってツラくなってくるとベッドに横になる。そうすると今度は僕らが酒を飲んで飯を食って。猪木さんはそれを望んでいるから、悪いなあ、猪木さんは食べられないし飲めないのに……って思うけど、望んでくれているからガンガン食って飲んで……」

 古舘氏の話を耳にしながら、実は「猪木さんはもの凄く人に気を遣う人なんですよ」あたりから、込み上げるものを感じていた。自分にもその経験がそれなりにあったからだ。古舘氏ほどではないが、自分も国内はもちろん、中国やパキスタン、南国パラオの猪木島、北朝鮮など、A猪木に同行させてもらって現場の空気をともにさせてもらったことが何度もある。

 2002年8月に国立競技場で「Dynamite!」が開催された際には、地上4000メートルからスカイダイビングで落下するA猪木の姿が古舘実況で描写されたが、自分は開会式で聖火を点灯したA猪木とともに車に同乗し、浦安のヘリポートまで向かう際の担当だった。

 要は、古舘氏にしか分からない猪木があるように、自分にもそれなりにそんな時間や接点があった。だからこそ自然と涙腺が緩んでしまった。

猪木さんだったらどう言うかな…

「やっぱりそういうのを思い出されますか?」

 自分が目頭が熱くなって、鼻をすすっている状況を見かねて、古舘氏がそう問いかけて来た。思わず「はい。すみません……」と答えた。

 すると古舘氏は「ねえ? みんなそうですよ。俺ね、猪木さんが亡くなってからのほうが猪木さんを思い出すんですよ」と口にした。

「やっぱり生きている人間ていうのは、死んだ人と自分を紡いで生きていく動物ですよ。だから絶対に死んでいる人を引っ張り出して、自分の心のなかで、まぜこぜにして縫い合わせるはずだから、そういう意味じゃ、猪木さんが死んでからのほうが、毎日思い出します。猪木さんの表情、笑った顔、ああ言ったとかこう言ったとか。しょっちゅう。だから、死んでからの猪木さんの存在感のほうがよっぽど強えわって。それは面白くてしょうがないですよね。だからこういう本にもつながるんですよ、そこは、うん」

 たしかに「喋り屋いちろう」にはそのエッセンスが数多く散りばめられていると思う。

「猪木さんだったらどう言うのかな? たまにいろんなことで悩んだり迷っている時に、猪木さんだったらどう言うかな……」

 そこまで言った古舘氏は、「そういう時に猪木さんだったらこう言うだろうって月並みな言葉じゃなくて……」と話したかと思うと、実に“古舘伊知郎ならでは”の答え方を披露した。

「猪木さんの、アゴをしゃくって『いいじゃない』と言った時の肩の動きとかね。『ちょっと待って』って言ってケイタイで『ええ、ええ、ええ』って言った時に脇が甘くなって広がるとかね。そういうしぐさを思い出すんですよ」

 話を聞く前から分かっていたが、やはり猪木に関する観察眼においては、古舘氏の右に出る者はいない。

 そんな古舘氏が手がけた実況小説「喋り屋いちろう」。“世界最強の闘魂の語り部”が織りなす、「馬鹿の一本道」であり壮絶な実況小説エンターテインメント。是非、ご一読をオススメしたい。

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