21歳で夫からバイクを渡され…はや50年 波瀾万丈の人生 今では夫に「大変感謝しています」
絵本作家・池田あきこさんは21歳での結婚を機に夫からバイクをプレゼントされ、さまざまな車種を乗り続けて50年がたった。その間、転倒などでケガすることも数知れず。しかし、そのたびに、夫から新たなバイクが提供され、今では欠かせない人生の相棒となった。家族そろってツーリングすることも多いという池田さんに二輪車の魅力を語ってもらった。
21歳で結婚 夫から渡されたバイク「急に暮らしの中に入ってきて…」生活が激変
絵本作家・池田あきこさんは21歳での結婚を機に夫からバイクをプレゼントされ、さまざまな車種を乗り続けて50年がたった。その間、転倒などでケガすることも数知れず。しかし、そのたびに、夫から新たなバイクが提供され、今では欠かせない人生の相棒となった。家族そろってツーリングすることも多いという池田さんに二輪車の魅力を語ってもらった。(取材・文=水沼一夫)
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池田さんは、人気キャラクター「猫のダヤン」の生みの親として知られる。ダヤンは2023年に生誕40周年を控え、現在は来年の展覧会に飾る予定の絵を描くなど精力的に準備を進めている。
東京・吉祥寺のアトリエは井の頭公園に至近で、作業にはもってこいの環境だ。そして玄関前に止められているのは1台のカーキ色のバイク。ヘルメットや装飾はオリジナルのダヤン仕様で、とてもユニークだ。
池田さんがバイクと出会ったのは21歳のときだった。
「私は21で結婚したんですけど、夫(澄生さん)が大変バイクが好きで、まず結婚したときに自分のバイクより先に私のバイクを買ってきたんですよ。それまで私はバイクとは無縁の暮らしだった。うちは国鉄の一家だったので、旅は鉄道みたいな習慣だったんですけど、バイクが急に暮らしの中に入ってきて、乗るようになったわけです」
そのときのバイクがヤマハ50ccのFS1だった。
「そのうち夫もバイクを買って、2台でよくツーリングに行きました。あるとき秩父の正丸峠に行ったときに信号待ちしてたのよ。そしたら前をザーッとサイドカーの一団が流れていったわけです。その時代錯誤な面白さ、その頃ですらね、もうサイドカーの一群というのがものすごくかっこよかったのね。その後、頂上の茶屋でまた会って話をして、うちの夫はすっかりサイドカーに魅せられ、それでサイドカーに乗るようになり、今ではサイドカー屋をやっているのね」
池田さんの愛車遍歴は20台以上にのぼる。ホンダCB250セニア、ラビット・スーパーフローとハイスーパー、ランブレッタ、ベスパと続いた。
「私はスクーターが好きなんですよ。むしろバイクより。こうゆったりと、とことこみたいなのは割と好きなんだよね」
ベスパでは苦い思い出もある。「1回東名で転倒しちゃって、すごい大渋滞を引き起こしました。いい気分で蹴りっ子みたいなのをしてたのね。そしたらベスパというのは重心が高いんですよね。だから触れちゃったのね。友達も巻き込んで2人で転倒してずあーといっちゃって。友達は足を折って、私は手を折って。病院に行ったら先生にすごい怒られて『あの渋滞はお前らか』って言われました」。
ハーレー883→60を過ぎて出会った運命のバイク 「それが素晴らしくって」
バイクが大型化した時期もある。転倒をしてもケガしても、夫からの供給は止まらなかった。
「それからカワサキZ250FT。ハーレーの883にも乗った。結局、全部これは夫の意向が強い。突然買ってきたりするの」
扱うのはなおさら難しかった。バイクを倒し、部品が損傷した。「クラッチレバーを折っちゃって。でも自分が起こさないとねと思って起こしたら今度はブレーキレバーも折っちゃって、はじめの転倒でキーも折っちゃったわけです。で、うちの(夫)が直結でエンジンかけてくれて、それで目的地の行楽地に行ったこともあります」。重量は250キロ。「私には大き過ぎだったのね」と苦笑する。それからやや小型化し、グラストラッカーやエストレアに乗った。
59歳のときにはボルネオ島縦断1500キロツーリングに参加。オフロードバイクでブルネイ、マレーシア、インドネシアの3か国を駆け抜けた。
「すごく過酷なツーリングだったんですよ。1500キロと言ったけど、実際は2000キロだったよね。1日500キロも走る日もあって、朝早く出て、弁当を持って、汚いところで食べてまたすぐ走り出すみたいな」。そしたらまたもや転倒した。数少ない行楽日に、滝に行こうとしたら仲間とはぐれた。「雨が降ってきた。遠くにオレンジのカッパが見えて、あ、仲間だと思ってセンターラインの上でブレーキをかけちゃったんだね。発見したもんで、浮かれて。それでズワーッて転んじゃった」。
幸い大きなケガにならなかったが、イスラム教のトイレ対策で紙パンツを履いており、病院では赤面した。「お尻に注射を打たれたんだけど、紙のパンツなんか履いてたから恥ずかしかった」と振り返った。
帰国後、今度はテンプターで転んだ。60のときだった。「津久井湖の手前の信号でブレーキかけたら立ちゴケ的に転んだのね。そしたら転んだ端っこが石段だったので、そこに肩を打ちつけて肩の骨頭を割っちゃってボルトを入れるはめになった。それをやったもんだから、私はもう大きいバイク嫌だなって、怖いやって思ったわけです。もうよそっかなとか言っていたら、うちのが今度はベスパを買ってきたのよ。ツートンのかわいいベスパ。お前のベスパだよとか言ってさ」。
夫が空気を読めないのか、読まないのか……。終わりそうで終われない池田さんとバイクの関係。そして、60を過ぎて、運命のバイクに出会う。
「クロスカブを買ってきたの。そうしたらそれが素晴らしくってさ。もうね、生涯の友を見つけたって感じ。この人とならどこでも行けるみたいな」
最初は赤、そして今はカーキを乗っている。「同じ車種なんだけど、進化している。で、今カーキのクロスカブをボアアップ(排気量の増加)して110CCを127CCにしました」。白ナンバーになり、高速に乗れるようになった。
イタリアでバイクを借り「ローマの休日」気取ったことも 姉妹で楽しむ気楽な旅に
小回りも利き、故障しない。「私は都内を走るのも割と好きなのね。土日にお台場の辺りとか、青山のほうとかすいてるのよ。そういうところに行くときも、あらすてきな店とか言うと、キュッと止まれる。その割にはアクセルを開ければ速い。もうね、ぴったりなの。年取ったらこれで日本の海岸線を回って日本一周したいなって思っている。だから旅の友だね、クロスカブは。今までのバイクはツーリングという感じだったけど、気楽なのよね」。
夫の影響は現在(株)わちふぃーるどの社長を務めるまな娘の舞子さんにも。高校生だった16のときにバイクを与えられ、制服姿で通学していた。現在では、トライアンフボンネビルに大陸STのサイドカーを愛用している。仲間とのツーリングの前に、母娘で前乗りすることもある。
バイク終わらない旅はまだ続く。抜けられそうにない。イタリアでバイクを借り、妹と「ローマの休日」を気取ったこともあった。
「私にとって、バイクの旅は終わらないの。それはそれでね、素晴らしかったと思うよ。バイクに乗っている時間は楽しいもの」
すべてが順風満帆ではなく、どちらかと言えば波瀾万丈だった。慣れない操作に、苦労もした。痛い思いもした。
それでも、きっかけを与えてくれた夫に伝えたい。
「バイクに関しては大変感謝しています。外で風を前面に浴びて走る爽快さ。周りがどんどん景色が流れていく面白さ。何の旅でも好きなんだけど、バイクの旅が一つの道中になって、とってもよかったなって思います」
二輪に魅了された池田さんは今日も愛車を走らせ、風を切っていく。
□池田あきこ(いけだ・あきこ)本名・池田晶子。1950年、東京都出身。高校生のときに造語「わちふぃーるど」を発案。自身のクリエーター名などに使用する。会社員を経験後、革職人に転身。その後立ち上げたメーカー名も「わちふぃーるど」に。83年、自由が丘に出店した際、シンボルとして「猫のダヤン」を描く。「わちふぃーるど」はダヤンの住む不思議な世界となり、87年より絵本を描き始める。ダヤン40周年を迎える2023年には「旅とパステル回帰」をテーマにした展覧会を予定している。原画作品は河口湖・木ノ花美術館で常設展示。10月19日Eテレ「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」(午後10時)に出演する。