花田優一×中村橋之助【対談】3歳からの親友だから話せる親子観と“2世”の現実

靴職人・花田優一の連載【花田優一コラム】。第10回は特別編第1弾。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一が、親友で歌舞伎役者の中村橋之助と対談した。1回目はお互いの親子観、世襲制の現実について。

中村橋之助(左)と花田優一、3歳の頃から交流のある2人が対談【写真:ENCOUNT編集部】
中村橋之助(左)と花田優一、3歳の頃から交流のある2人が対談【写真:ENCOUNT編集部】

花田優一コラム・第10回は特別編第1弾、3歳からの親友・橋之助と対談

 靴職人・花田優一の連載【花田優一コラム】。第10回は特別編第1弾。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一が、親友で歌舞伎役者の中村橋之助と対談した。1回目はお互いの親子観、世襲制の現実について。

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 この対談の最後、橋之助は唐突に言った。

「こんな機会だから、忠告しようと思って」

 その“忠告”は、彼が僕に、前もって言おうと決めていたのだろうと、空気で分かった。

 日本の風情に花を添えるように、歌舞伎に生きる男がそこを歩けば、江戸の風が吹く。舞うかのごとく華やかに人気役者達が築き上げた歌舞伎界の名家、成駒屋に、四代目中村橋之助は生まれた。本名中村国生、父は八代目中村芝翫、母は三田寛子という、華やかな芸能一家の長男である。

 しかし私は彼のことを「くにちゃん」と呼ぶ。「橋之助さん」と呼ばれている姿を見ると、少しむず痒いような気もするのである。

 私たちは3歳のとき、同級生として出会い、気付けば思い出にはいつも彼がいた、悪ふざけも、格好つけも、恋も酒も、夢も現実も、気付けば26歳になった今まで、血のつながった兄弟かのように私たちは共有してきたのである。

 生意気ながらも純朴に、私だから書ける橋之助のリアルをここに残したいと思う。

優一「今日ちょっと顔疲れてる?」

橋之助「今月ね、歌舞伎座で弟達はすごく大きい役をやっていて、僕はどっちかというと見守るという立場で出ているんだけど、すごく僕自身も力が入っている。その中で、弟2人がコロナになってしまったんだよね。公演自体が止まったのは3日間だけど、弟達は10日間代役で休演ということになってしまって。身体的な疲れはないけど、すごく想いで燃えていた分、やり場のない炎みたいなのがあって、気が張っているのかも」

優一「自分が大役に出るのと、弟たちが出るのとは、正直気持ちの変化はある?」

橋之助「全然自分が出る方が楽。今までは、わりと口酸っぱくいろんなこと言ってきたんだけど、今回は言わないって決めて」

優一「珍しい!」

橋之助「僕が言わない分、今回はやっぱり弟2人で作り上げたから、それを感じることができて3兄弟としても一個成長したかなっていう思いもあるよ」

優一「このネットニュース記事を読んでくださる方って、例えば歌舞伎が好きだから読むというわけでもないと思う。だからこそ皆さんがあまり知らない部分、お父さんと全く同じ職業に就いて、その上師弟関係であることの苦しみ、大変さについて話したいな」

小学生の頃の花田優一(左端)と中村橋之助(右端)【写真:花田優一提供】
小学生の頃の花田優一(左端)と中村橋之助(右端)【写真:花田優一提供】

橋之助「父は全力で子どもだと思っている。僕からすると難しいし、できない」

橋之助「なんていうんだろ、分かりやすく言うと、僕はあまり父だと思ってないです。でも、父は全力で子どもだと思っている。子供のことを好きでいてくれるし、友達のようなお父さんでいたいという感覚ですよね。でもやっぱりそれは、僕からするととても難しいことだし、できない」

優一「そういう感覚か」

橋之助「偉そうな言い方になってしまうかもしれないけど、学生のときは父が全て100点だと思っていた。でも、この歳になっていろんな経験をさせてもらうようになると、父が赤点出しているところを見て、気付くようにもなっていく。尊敬すべきところも、真似してはいけないところもあるわけで、その上で親子として接してしまうと、僕自身が甘えてしまうんだよね」

優一「確かに」

橋之助「親だと思うと生意気に接してしまうこともあるから、僕は子供としてっていうよりも、後輩として弟子として接していたい。でも、父はいつまでも、僕が学生のときみたいに接していたい、というところは難しいかな」

優一「俺の場合、祖父(初代貴ノ花)が父の師匠だった。その姿を見ていて、親子になりきれなかった悲しみを感じることもあって、俺は父と同じ業界には入らないって決めた部分もあると思う」

橋之助「若いときってその親子関係、すっごく格好良く見えなかった?」

優一「うん、すごく格好良かった。でも、憧れの反面、父を一人の男として見たときに、父子の未練みたいなものを、俺への愛にいっぱい閉じ込めてぶつけてくれた。だから、その彼の儚さ(はかなさ)を引き継いじゃいけないなって、人の夢と書いて“儚い”だしね。そこに気付いたから、ある種の親孝行じゃないけど、この連鎖は終わらせなきゃいけないなっていうのはどこかに思っていたのかも。

 歌舞伎って、現在の日本に残っている数少ない世襲制の職業だと思う。その上、芸能であり文化伝統でもある。これって、現代日本では、名前借りて苦労しなくて飯が食えるんだろうと、ひねくれた目線で見る人はいると思うんだよね。それに対してのプレッシャーにはどう立ち向かっている?」

17歳の頃の中村橋之助(左)と花田優一【写真:花田優一提供】
17歳の頃の中村橋之助(左)と花田優一【写真:花田優一提供】

三代の重みを背負う四代目橋之助「まずはやる事やってから自分の言いたいこと言おう」

橋之助「いや、もうめっちゃ気になるけど、何も知らない人たちがうだうだ言っているんだなというマインドにはなっているかな。誤解を恐れずに言うと、父親や僕自身のことも、週刊誌やネットでああいう書き方される時点で、もうお芝居見る前から、僕自身を見ずに批判してくる人はたくさんいる、お互いにね、優一もそうだと思う。でも、僕たちをちゃんと見てくれている人がいることも事実。だからこそ、めちゃくちゃ良い役者になって、今批判している人たちも、僕を見て考えが変わってくれたらいいなと思っている」

優一「でもさ、気にしないとはいえ、あの泥のような世論ってダメージはもらうじゃない?」

橋之助「もらう、もらう」

優一「例えば、“2世”的なテーマで批判されるとき、俺の場合はどこかで、いやいや俺三代目貴乃花じゃねえし、っていう心の逃げ方はできる。でも、くにちゃんは四代目橋之助であって、三代の重みを背負っているわけで、その看板からは逃げられないでしょう。そのストレスやプレッシャーはどこで発散しているの?」

橋之助「発散というか、そもそも、言い返せるだけのレベルに僕がいないっていうことに気付いちゃっている。仮に自分がトップに立って満足している上で、そういう批判をされたらどうにかして発散しなきゃと思うのかもしれないけど、今の自分には世間を納得させるだけのパワーを持っていないって思うから、まずはやることやってから自分の言いたいこと言おうって思っている。でも、兄弟のことに関しては、心無い批判をする人たちを殴りに行きたくなっちゃうね(笑)」

優一「そういう反骨心、誰かを守らなきゃと思うと、すごく強いエネルギーが出るタイプだよね、僕らは間違いなく」

 次回は、橋之助の変化、母に対しての思いを聞いていく。

□中村橋之助(なかむら・はしのすけ)1995年12月26日、東京都生まれ。本名・中村国生。屋号は成駒屋。8代目中村芝翫の長男。祖父は7代目中村芝翫。2000年、九月歌舞伎座「京鹿子娘道成寺」所化、「菊晴勢若駒」春駒の童で初代中村国生を名乗り初舞台。16年、4代目中村橋之助を襲名。

□花田優一(はなだ・ゆういち)1995年9月27日、第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男として東京に生まれる。15歳で単身アメリカ留学。その後、18歳でイタリア・フィレンツェへ渡り、靴職人修業。2015年に帰国後、工房を構え、作品を作る日々を送る。靴職人としての活動の傍ら、タレント業、歌手活動なども行っている。

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