【週末は女子プロレス♯67】日本のアニメ見て育ち南米チリから単身来日 AKARIが日本で夢をつかむまでの物語

PURE-J所属のAKARIは、南米チリから単身日本にやってきた女子プロレスラーだ。とはいえ、デビューは日本。言葉も通じない状態での強引な押しかけ入門で道場に住み込み、デビューを果たした努力家だ。プロレスと日本を通じさまざまなありえない夢を現実のものにしている事実には、本人も驚いている。

来日したAKARI【写真:ENCOUNT編集部】
来日したAKARI【写真:ENCOUNT編集部】

衝撃を受けたNOAHの丸藤正道vsKENTA

 PURE-J所属のAKARIは、南米チリから単身日本にやってきた女子プロレスラーだ。とはいえ、デビューは日本。言葉も通じない状態での強引な押しかけ入門で道場に住み込み、デビューを果たした努力家だ。プロレスと日本を通じさまざまなありえない夢を現実のものにしている事実には、本人も驚いている。

 1994年2月9日生まれ。幼い頃から日本のアニメを見て育ち、日本のサムライが出てくるモノクロ映画を父親と一緒にテレビで見ていた記憶がある。チリでプロレスと言えば、メキシコのルチャリブレかアメリカのWWE。興味はあったけれど、それほど好きというわけでもなかった。が、ある日、NOAHの丸藤正道vsKENTAの映像を見て衝撃を受けた。

「なに、これ? すごい! すごいスピード! すごいパワー! カッコいい!」

 本名ベニータ・エルグエタ。当時14歳の彼女は一瞬にして日本のプロレスの虜になった。「女のプロレスもあるのかな?」と思い検索してみると、日本人女性がリングで闘う映像を発見。なかでもコマンドボリショイの試合に感動、「これを日本でやってみたい!」と将来の道を決め、2017年あたりからSNSを通じてボリショイとコンタクトを取るようになった。が、ボリショイは当然ながら本気とは考えておらず、軽い気持ちで絵文字を返信する程度だった。まさか本当にやってくるとは、考えてもみなかったのである。

 彼女はまず、地元のプロレス団体で練習を始める。しかし、そこはアマチュアのルチャ団体だった。団体名はRALL。男女混合のサークル的なノリだったが、在籍時、女性は彼女一人の期間が大半だった。格闘色の濃いプロレスに憧れていたため、メキシコやアメリカのスタイルをコピーしようとする周囲にはあまりついていけなかったらしい。

 しかしながら、3試合程度リングに上がる機会があった。当時からリングネームはAKARI。日本の忍者からインスパイアされた名前だという。そんな頃、ボリショイが引退するとのニュースを知った。ボリショイとの対戦が夢だった彼女にとっては一大事。母親に無理を言い、故郷サンチアゴを飛び出した。「いまは趣味でやっている程度、そのうちちゃんとした仕事を見つけるでしょう」と考えていた両親も驚いた。チリから外に出ることじたい、生まれて初めての経験、大冒険だった。

 ボリショイには「いまから飛行機に乗って日本に行きます」とのメールが届いた。チリからアメリカを経由し成田へ。そして本当に、道場にやってきたから驚いた。熱意が認められ、そして半分呆れられて入寮。数日後の18年12・9後楽園では、練習生としてリング上で紹介された。

 当時のボリショイは自身の引退ロード真っ最中。その傍ら、つきっきりで練習をみた。試合内容では定評のあるPURE-Jだ。中途半端な状態で試合をさせるわけにはいかない。ベニータはボリショイとの試合を実現させたい一心で厳しい練習に取り組んだ。ボリショイもベニータの本気度を感じ取った。自分に憧れて海を渡り、デビューしたいと直訴されたのだ。レスラー冥利に尽きるではないか。

 そして、引退興行1週間前の板橋大会で師匠ボリショイ相手のデビュー戦にこぎ着けた。ボリショイのコスチュームを引き継ぎ、リングネームはAKARIをそのまま使用することに。

AKARI【写真:ENCOUNT編集部】
AKARI【写真:ENCOUNT編集部】

タイトルマッチへ「無差別のベルト絶対欲しいから、絶対に頑張ります!」

 ボリショイが30年の現役生活にピリオドを打った4・21後楽園で、AKARIは6人タッグマッチに登場、聖地での試合も実現させた。ここから先はPUREーJの立派な戦力として活躍する。メキシコのルチャに日本の関節技や打撃をミックスさせたスタイルで経験を積み、昨年2・7板橋でPOP王座を奪取し初戴冠。鈴季すず返上のベルトをトーナメントで争い、優勝したAKARIが王者となったのである。

 POPとはキャリア4年以下の若手が争うタイトルで、次代のエースへの登竜門的王座。風香、中島安里紗、松本浩代、Sareeeらそうそうたるメンバーが歴代王者に名を連ねている。このタイトルを、AKARIは最多記録更新の7度防衛、一年間にわたり王者として君臨した。ならば次は、団体最高峰のベルトに挑むときではないか。

 今年8・11後楽園で、PUREーJ認定無差別級王座がエース中森華子からフリーの優宇に移動した。団体の至宝が外部に流出する事態となったのである。試合後、次期挑戦に名乗りを挙げたのがAKARIだった。9・4浅草でライディーン鋼との挑戦者決定戦を制し、正式にタイトルマッチが決定。9・23板橋グリーンホールで実現する。

 過去にも一度、AKARIは同王座に挑んだことがある。昨年10・31板橋で、POP王者としてLeonに初挑戦。あれから1年の進化を見せるとともに、団体にベルトを奪還する役割がAKARIには課されている。

「POPのときはチャンピオンとして認められるよう、すごい人が持ってたベルトに恥じないよう、よく考えて守ってきました。次は2度目の無差別級挑戦。優宇選手とは5月の浅草大会でシングルをして、すごいパワーで、すごく強いと実感しました。だから今度の試合はもっともっと考えて挑みます。無差別のベルト絶対欲しいから、絶対に頑張ります!」

 AKARIには、コロナ禍もあり3年間会っていないチリの家族にベルト奪取を報告したいとの夢がある。後楽園での試合映像から、娘が本当に日本で“プロのプロレスラー”になったと信じてもらえた、心の底から喜んでもらえた。そしてまた、ベルト奪取の先にも見据えている夢がある。

「いきなり日本に来たのに、みんな優しく接してくれていろいろと助けてくれました。まずそこに驚きました。そのおかげでデビューできて、いまこうしてプロレスラーとして試合ができています。10年前の私からしたら想像もできません。日本が好きで、プロレスが好きになってから描いた夢が次々と実現してる。日本に来てデビューできて、しかも闘いたかったボリショイさんと試合をして、POPのベルトも取った。ホントにすごいなって自分でも驚いています。私のライフは全部チャレンジです。異国で夢をかなえたんだから、もう怖いものなしですよ(笑)。無差別のベルトを取って、PUREーJのAKARIをいろいろなところで見せたいです。日本だけではなく、メヒコ、アメリカ、イギリスでもPUREーJの名前を背負って試合をしたいですね。いろんな国でPUREーJの名前を知ってもらえるようにしたいです」

 現王者・優宇は、引退ロード番外編とも言うべきボリショイの海外での試合を見て、そこで懸けられていた無差別級王座のベルトを絶対に取りたいと考えた。その思いが3年半越しに実り、ボリショイvsLeonに熱狂した現地ファンの前で防衛戦を実現させるつもりでいる。それだけに、今度のタイトル戦で勝った方が優宇の思い描く英国EVEに乗り込む可能性もあるのだろう。どちらにとっても夢への関門となる9・23板橋での優宇vsAKARI。この試合の結末が、今後のPURE-Jの針路を決める!?

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