天龍源一郎がちゃぶ台をひっくり返した32年前の夜 SWS移籍を後押しした記者の一言

雷(カミナリ)と言えば夏と思いがちだが、そうではない。俳句でも「春雷」が春、「雷」「遠雷」「軽雷」は夏、「稲妻」は秋、「寒雷」は冬の季語。つまり一年中、鳴り響くものなのだ。

リングを離れたら柔和な天龍源一郎【写真:柴田惣一】
リングを離れたら柔和な天龍源一郎【写真:柴田惣一】

思い出す1990年4月、九州サーキット中の出来事

 雷(カミナリ)と言えば夏と思いがちだが、そうではない。俳句でも「春雷」が春、「雷」「遠雷」「軽雷」は夏、「稲妻」は秋、「寒雷」は冬の季語。つまり一年中、鳴り響くものなのだ。

 今ではそれこそ死語かも知れないが、かつては雷親父が街中のそこかしこにいたものだ。プロレス界で雷親父といえば、天龍源一郎の顔を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

 実は天龍の雷をくらったことがある。あれは1990年の4月だった。全日本プロレスの九州サーキットに同行取材したときのこと。

 92年バルセロナ五輪担当として、プロレス取材からしばしば離れていた時期だった。バルセロナの事前取材ツアーを終え、久しぶりにプロレスの地方大会のレポートを仰せつかった。

 いつも通り、原稿を送り、お楽しみの反省会という飲み会がこの日も始まった。主催者はもちろん天龍。川田利明、冬木弘道ら天龍同盟のメンバーも顔を揃えていた。

 その日は多くの記者、カメラマンも集っていた。やいのやいのとプロレスのこと、女性のこと……杯を重ねながらそれぞれ語り合っていた。

 いつも通り楽しいお酒だった。天龍節が冴えわたっていた。天龍との杯に渇望感をためこんでいたこともあり、いつになくハイピッチで飲んでしまった。いや、飲みすぎだった。

「つまんない。天龍同盟つまんない」。目の前の天龍に向かって面と向かって言い放っていた。

 つまらないわけなどないのに、しばらくぶりの気持ちの良い酒に、調子に乗ってしまった。凍り付く周囲にも気づかず、何度も繰り返していた。

「そうか」「どうしてかな」と最初は大人の対応をしてくれた天龍も、そのうちブチ切れた。

「なに、この野郎!」

 天龍の怒号と同時に机がひっくり返った。飛び散る料理に食器。まるでアニメ「巨人の星」のようだった。ちゃぶ台返し。父・一徹が、指導方針に文句をつけた星飛雄馬に怒る名シーンが頭の中でクルクル回った。

次のページへ (2/3) 翌日、天龍から自宅に届いた胡蝶蘭
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