蝶野正洋、武藤敬司の「夢は蝶野と引退試合」どうする? 手術で全治9か月 状態を直撃
医師にプレート手術勧められるも断った理由
やっぱり手術が怖かったんですよ。特に脊椎ですからね。それにレスラーの習性で、痛みは我慢するもんだみたいなところがありました。古傷の首も大きなケガが2回あったけど、手術はやらずに済んでいました。1回目は92年の第2回G1で優勝し、NWAのベルトを取ったときですね。あのときも寝れない状態でした。次が98年、nWoジャパンでIWGPのベルトを取ったときかな。首の痛みが再発しちゃって、そこは自分で休みました。さすがに危なかったので。
腰の手術を決めたのは昨年の9月です。紹介状を書いてもらって、初診から「もう手術をお願いします」と伝えました。スケジュールがいっぱいだったので、12月の頭のところ2週間を空けてもらいました。
手術の方法は内視鏡で、簡易的な処置を選びました。椎間板がつぶれて、ヘルニアになっている。さらに横にずれて、すべり症になっている。それによって狭窄症が起きている。“3冠王”みたいなものだから、骨と骨との間にプレートを入れるのが、本来やるべき必要な手術と言われました。だけどそれをやると、リハビリはかなり長くなる。過度な運動もできないし、そこは最後の手段みたいに捉えました。
手術は全身麻酔で2時間ぐらいかかりました。終わって起きたら、痛みはもう全くなかったですね。エッと思いました。入院は最低2週間と言われたんですけども、仕事があったので10日ぐらいで出ました。脊柱管の中を削っているから最初は歩けない。1週間ほど動けなくて、トイレに行くのも歩行器を使いましたね。
退院後は1か月半ぐらい、車いす生活になりました。最初は松葉づえでした。仕事で札幌に行ったときに、羽田空港で「この距離は無理だ」と思っていたら、車いすを貸してくれたんです。千歳空港で降りたら、向こうでも準備してくれて、ありがたかったですね。距離を歩かずに済んだので手術前から使っておけば楽だったなと思いました。