パッション屋良、現在は沖縄でジム経営 借金1000万円超のどん底も経験…波瀾万丈の道のり

沖縄でのロケに臨むパッション屋良
沖縄でのロケに臨むパッション屋良

悩んでいるパッション屋良の背中を押した先輩・出川哲朗の言葉

 2004年からスタートした“パッション屋良”としてのピン活動はトントン拍子だった。インパクトのあるビジュアルで「んー!」の叫び声。活動開始から半年ほどで、番組オーディションに通ると、ブレークはすぐそこだった。一時期は数百万円もの月収を手にした屋良は当時を振り返る。

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「びっくりしましたね。僕はビビりだったので『こんなのずっと続くわけない』と思い、そこまで派手な生活はしませんでした。でも、人並みにぜいたくなことはしてみました。六本木に飲みに行って1回で20万円払ったりしたこともありましたね。最初はそれなりにかっこつけたりもしていて、嫁ともよくその頃の話をしますね。『昔はダウン買うのに20万円ぐらいキャッシュでパッと出してたのにね』、みたいな(笑)。そういう“THE・芸能人”みたいな生活も多少はさせてもらいましたね」

 しかし、その生活も長くは続かなかった。徐々に仕事が減少する中で11年には地元・沖縄へ拠点を移すことを決断。「都落ち」のような形で地元へ戻ることを「あまり理想的ではない」と苦悩しているとき、背中を押したのはある先輩の言葉だった。

「自分の中でモヤモヤしていて、出川(哲朗)さんに相談したら、『いいんじゃない? 別に。沖縄で1番になればいいんじゃないの』と言ってくださったんです。そこで一気に気持ちが楽になりました」

 その後はマネジメント業にも注力すべく、「オフィスパッション」を起ち上げ、沖縄での芸能事業に挑戦した。しかし、それが“どん底”への始まりだった。実務を委ねた知人による経営資金の使い込みや持ち逃げ……。「典型的な人にだまされてという感じでしたね」と語る表情からは後悔の念が見えた。

「気付いたら借金を1000万円以上抱えていたり、そんなことばっかりでした。簡単に人を信じた結果です。『自分が悪いんだ……』とネガティブな考えにはなりましたね。今では何回か痛い目を見たことで、やっと見る目が培われたかなと。今でもしんどいときはありますが、あのときは本当にどうしようもないぐらいキツかったですね。人にはだまされるわ、借金はできるわ、仕事がないわ……。逆によくここまで生き延びてたなって感じです(笑)」

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