沢田知可子、名曲「会いたい」で今だから話せる大切なこと 人生の絶頂とどん底の経験
歌手の沢田知可子が今年デビューから35年目を迎えた。彼女の代表曲「会いたい」は“21世紀に残す涙の名曲ベスト100”の1位に選ばれた名曲中の名曲だ。と同時に沢田にとって人生の絶頂とどん底の両方を教えてくれた曲でもある。彼女が「会いたい」から学んだことは何だったのか? 今だから話せる大切なことを教えてくれた。
「会いたい」が教えてくれた“人生の教訓”
歌手の沢田知可子が今年デビューから35年目を迎えた。彼女の代表曲「会いたい」は“21世紀に残す涙の名曲ベスト100”の1位に選ばれた名曲中の名曲だ。と同時に沢田にとって人生の絶頂とどん底の両方を教えてくれた曲でもある。彼女が「会いたい」から学んだことは何だったのか? 今だから話せる大切なことを教えてくれた。(取材・文=福嶋剛)
私は社会人を3年間経験して、1987年「恋人と呼ばせて」でデビューしました。当時のお給料は10万円。デビュー前に購入した軽のワンボックスカーを運転して、埼玉県の実家から都内までの移動中に歌の練習をしたり、曲を作ってカセットテープに吹き込んだりと、車の中で歌手として大切な時間をすごしていました。あの時、もしデビューできなかったらその車を使ってホットドッグ屋さんをやろうって本気で考えていたんです(笑)。「いざとなったらどんなことでもやっていける」そんなふうにいつも考えていました。
デビューして3年目に4枚目のアルバム「I miss you」(90年)を制作していた頃の話です。最後にレコーディングする予定の曲が全然上がってきませんでした。「今日録音できなかったらアルバム発売に間に合わない!」そんな歌入れ最終日の夜の10時を回ったところでした。小さなスタジオにあったFAXから一枚の歌詞が送られてきました。これが「会いたい」の始まりです。
後に聞かされた話で、当時のディレクターは作詞家の沢ちひろさんと2人で「I miss you」というアルバムテーマに最もふさわしい「恋人を失った時の悲しい瞬間を歌詞にするのはどうか?」といったやり取りを入念に行っていて、その間、何度も歌詞を修正していたそうですが、「沢田には100%完成するまで絶対に見せるな」そんな指示が出されていたそうです。
「よし! これでいけるぞ」送られてきたFAXの歌詞に目を通したディレクターは、「沢田、お前この歌詞を見て泣くなよ!」と言って渡された歌詞を見た瞬間、驚きました。
高校の頃、あこがれていたバスケットボール部の先輩が「お前がデビューしたら俺が最初のファンになってやる」と言って、その1週間後に交通事故で亡くなってしまった出来事がありました。ディレクターには私がバスケットボールをやっていたことだけは伝えていましたが、先輩の話はしませんでした。もちろん沢さんにも一切そのことをお伝えしていなくて。なのにそんな私だけが知っていることが歌詞になっていたので、その事実をお伝えするとディレクターもすごく驚いた様子でした。どうやら本当に偶然だったみたいです。
まるで先輩が現れて「もっと頑張れよ!」って叱咤(しった)激励してくれているような気分でした。ディレクターも予想外の事実と私の反応を見て、すぐに「じゃあ(練習も兼ねて)仮歌を歌ってみようか?」と歌詞が頭に入る前に1回歌ってみることにしました。
するとディレクターから「いいね。もう1回仮で歌ってみよう」そう言われて全部で3回仮歌を歌いました。いよいよ本番と思っていたその時「お疲れ様。歌入れが完了したから帰っていいよ」って。その仮歌が採用されたんです。終わってからディレクターがこう言いました。