今またジュニアが熱い! ノアで祭典を開催 ヘビー級に負けない熱闘に期待【連載vol.82】

現在は100キロを切る選手もヘビー級で活躍

 思えば、ヘビーとジュニアはプロレス界の永遠のテーマ。藤波辰巳(現・辰爾)が1978年1月に、ニューヨークの「世界の格闘技の殿堂」MSGでWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を奪取し、日本凱旋(がいせん)を果たして花開いた「日本のジュニア」。それまで日本のファンの意識の中にはなかった「ジュニアヘビー」という概念を定着させ、スピーディーで華やかな動きで人々を魅了した。

 そして、それまで男性ファンが目立っていた会場に女性ファンが詰めかけ「黄色い歓声」が渦巻くようになった。ザ・ファンクスなど、女性ファンが多かった外国人選手もいるが、日本人レスラーでここまで女性ファンを獲得したのは藤波が初めてだろう。複数の女性雑誌、少女雑誌にも特集記事が組まれ、プロレスファン以外からも大いに注目を集めた。それだけジュニアの藤波人気は凄まじかった。

 藤波に続いて81年4月には初代タイガーマスクが登場。ちびっ子ファンを呼び込んだ。新日本のジュニア人気に、大型選手が揃っていた全日本プロレスでも大仁田厚らがジュニアバトルを展開し、日本マット界にジュニアの嵐が吹き荒れたものだ。

 ちなみに、ひと昔前のジュニア戦士は大きかった。新日本ではジュニアのリミットは100キロ、全日本は105キロ。一時期、新日本の道場には家庭用体重計しかなかった。100キロまでしか計測できず「これで測ったら大巨人のアンドレ・ザ・ジャイアントもジュニアだね」と笑った思い出がある。

 現在では余分な脂肪をそぎ落とす傾向が強くなり、100キロを切る選手でもヘビー級で活躍することが増えている。ヘビーとジュニアの境界線も時代で変化してきた。

 いずれにせよ、NOAHジュニアの原田が叩きつけたヘビー級への挑戦状。4・29両国大会はもちろん、翌日のヘビー級ファイターが集結する4・30両国決戦との“興行戦争”もいよいよ見逃せなくなった。

次のページへ (3/3) 【写真】日本マット界にジュニア時代を呼び込んだ藤波辰爾
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