【映画とプロレス #2】世界中が注目した猪木VSアリ 猪木の右腕が仕掛けた「猪木ハリウッド進出計画」

先日、77歳の喜寿を迎えたアントニオ猪木。”燃える闘魂”の名を世界に轟かせたのは、いまから約44年前、1976年6月26日に日本武道館で実現したモハメド・アリとの異種格闘技戦だった。

アントニオ猪木ハリウッド進出秘話を語った新間寿氏
アントニオ猪木ハリウッド進出秘話を語った新間寿氏

世紀の一戦"猪木VSアリ"が与えたとてつもない影響力

 先日、77歳の喜寿を迎えたアントニオ猪木。”燃える闘魂”の名を世界に轟かせたのは、いまから約44年前、1976年6月26日に日本武道館で実現したモハメド・アリとの異種格闘技戦だった。プロレスVSボクシングの世界チャンピオンという世紀の一戦を仕掛けたのは、元新日本プロレス営業本部長の新間寿。新間は“過激な仕掛け人”として“燃える闘魂”をサポート、数々の不可能を可能にしていったプロレス界の功労者だ。なかでも世界的にもっとも有名なのが、アリとの一戦である。猪木の神がかり的な才能はもちろん、新間の頭脳と行動力がなければ、日本の、そして世界のプロレスは現在どうなっていたか想像もできない。

 異種格闘技路線で突っ走っていた当時、新間はもうひとつの仕掛けを密かに考えていたという。それは、猪木のハリウッド、つまり映画界への進出だった。そのためにも、猪木VSアリ戦は絶好の名刺代わりにもなった。当時この試合は莫大な借金を背負うことになるのだが、猪木の名前は世界中に轟いた。それはプロレス界のみならず、アメリカのショービジネス界にも伝わっていたのだ。

 アメリカに渡った新間は、映画会社プロデューサーと出会う。この出会いをきっかけに、猪木の映画出演がトントン拍子で決まった。日本でも大ヒットした少年野球映画「がんばれ!ベアーズ」(76年)のシリーズ第3弾「がんばれ!ベアーズ大旋風」(78年)に本人役での出演が決定したのである。

 同作では、ベアーズが初の日本遠征を敢行。基本は、異国の文化に放り込まれたベアーズの少年たちが繰り広げるドタバタコメディだ。この作品に出演する猪木は野球とは無関係の、あくまでもプロレスラー。そのなかのエピソードとして、少年野球チームがなぜかプロレスと絡むことになるのである。

 ここで猪木はアントニオ猪木自身を演じている。「マーシャルアーツ」ではなく「マーシャルアートチャンピオン」としてコールされる猪木。しかも「世界でただひとりアリと引き分けた男」と紹介されるのだ。猪木が猪木を演じているなによりの証明である。しかもそこにはマネジャーがついている。この男のモデルとなったのが新間であることは間違いないだろう。このエピソードにも、猪木VSアリ戦のイメージが重なって見えてくる。間接的ながら、過激な仕掛け人もハリウッド進出を果たしたのかもしれない。

猪木は劇中で「アントニオ猪木」を演じた

 映画内でも、猪木の試合は通常のプロレスではなく異種格闘技戦だ。対戦相手はミーン・ボーンズを名乗る空手の世界チャンピオン。ところが試合当日になって負傷し病院に運ばれてしまう。デモンストレーションで失敗してしまったのだから、その実力のほどはいかがなものだったのか。とはいえ、この試合は全米での放送が企画されているビッグイベント。それだけに、アメリカから大挙やってきたスタッフはあたふたするばかり……。

 しかし試合当日とあって興行を中止するわけにもいかない。するとベアーズを連れてきたプロモーター&監督のマービン(トニー・カーティス)がその辺の素人外国人にマスクを被せて試合に出そうというアイデアを提示する。これを知った猪木は激高。控え室にあったアリの写真に怒りの鉄随を振りかざす。この怒りを抑えようとするのが、新間がモデルと考えられるマネジャーである。

 マネジャーは「とにかく試合をしろってさ」と猪木の説得に乗り出すが、燃える闘魂が納得するはずもない。会場ではすでに客入りが始まっている。といっても急な出場選手変更で場内は閑古鳥が鳴きまくっている状態。焦りの新間がこのとき、この試合を「アリとの再戦の足がかりにしたい」と考えていたところがおもしろい。この映画では、フィクションと現実がごっちゃになっているのだ。

 結局、猪木はリングに立った。セコンドには藤原喜明(本人!)が付いている。新間がモデルのマネジャーもエプロンに上がった。猪木はマネジャーに「なんだ、この客入りは? 全然入ってないじゃないか?」と怒りをぶつける。マネジャーは“抑えて、抑えて”という身振りとともに「これでも精一杯がんばったんだよ」とつぶやくのが精一杯。「こんなとこでやったことないぞ、オレはいままで!」と猪木が不満を漏らしているうちに試合がスタートしてしまう。案の定、相手はなにもできないでぐの坊でしかなかった。それもそのはず、マスクマンの正体はベアーズの監督マービンだったからだ。結局代役は見つからなかったのだろう。すると、やられまくるマービンを助けるべくベアーズの選手たちがリングになだれ込んできた。ハンディキャップ戦どころか、これはまるでプロレス対少年野球の“異種格闘球技戦”ではないか!

 あくまでも映画のテーマは少年野球だ。プロレスシーンはハッキリ言って蛇足でメインストーリーともあまり関係がない。しかしながらプロレス絡みの時間はかなりの尺を採っている。それだけ猪木の出演が重要視されていたということにもなるのだろう。アメリカでの公開は78年6月30日。猪木対アリ戦から2年後という素早さだった。日本公開は翌年3月17日にスタートした。ちょうど猪木VSミスターX戦のあとで、公開から1カ月も経たないうちにレフトフック・デイトンとの格闘技戦もおこなわれている。猪木と新間による異種格闘技路線は、もうしばらくつづいていくこととなる。「がんばれ!ベアーズ大旋風」は、異種格闘技戦時代を反映した作品でもあったのだ。

次のページへ (2/2) 【画像】アントニオ猪木の右腕として名を馳せた"過激な仕掛け人"新間寿氏
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