「大みそか=格闘技」を決定づけた20年前 安田忠夫がバンナを倒した日から受け継がれるもの

「思い入れ」「記憶」「歴史」を活用せよ

 今回、こうしてなんとなくではあるものの、概略だけを断片的に書き記す機会を得た。

 それだけで、つくづくいろいろあったなーと思わずにはいられないが、結局のところ、ここから20年間、大みそかと格闘技は、切っても切れないものになってしまった。

 それがいいことなのか、悪いことなのか。それは立場によって全く変わってしまうだろう。

 ただ、ひとつだけ言えるのは、この世界は妖怪だらけだなーと。言い換えるなら、さまざまな種類のタヌキがあちこちでバカし合いを真剣にやっているような印象すらある。

 具対的には書きにくいので触れないが、興行の世界であるし、非日常を創作することは、無尽蔵なエネルギーを必要とする。

 少なくともこの20年、記者はそれを幾多の場面で目撃し、体感もして来たと思う。

 個人的には、20回のうち、おそらく3分の1に当たる7回くらいは重要な役割を任される場面に遭遇した気はするものの、それすら時間とともに風化してしまう。

 今思えば20年前の大みそかに流した涙は、なりふり構わずにその日を目指してきた役割が終わったことへの安堵のそれだった。

 ともあれ、ここまで書いてきて寂しさを禁じ得ないのは、20年前にリング上を彩ったファイターは、大みそかのRIZINの会場には誰もおらず、強いて言えば実況解説席に高田延彦キャプテンがいるくらい。

 昨年の大みそかを例に取れば、SNSを見ていくと、石井館長はVIPルームにいたようだったが、かつての主要な選手や関係者の姿が見られなくなったのは、20年という月日の長さこそ感じさせるものの、20年前から文字通り「必死で」イベントづくりの末端にいた者としては複雑な心境になってしまう。

 この辺は新旧交代と新陳代謝がキッチリ行われているのだと思えばその通りだが、これが「仮面ライダー」なら、過去のライダーは全員登場して、オールスター戦を展開させるだろう。そうやって歴史を用いてのビジネスが格闘技であってもいいではないか。

 こんなことを書くと、フィクションやドラマとは違うとおしかりを受けるかもしれないが、フィクションだろうとドラマだろうとドキュメンタリーだろうと、「記憶」や「思い入れ」「歴史」という物語を活用してこそ、現在を輝かせ、明るい未来につながっていく気がしてならない。

 過日、来年6月には那須川天心VS武尊という夢のカードが実現する旨が発表されたが、おそらくこの一戦はかつて格闘技界を一つにしていた「INOKI BOM-BA-YE」や「Dynamite!」のようなビッグイベントになるだろう。であれば、その際にはぜひとも業界の「歴史」が詰まった物語が展開されていくことを熱望する。

 その舞台で繰り広げられる熱き闘いこそが、今年の大みそか、さらにはその先にある業界全体における大きな飛躍を果たすことを望んでやまない。

次のページへ (4/4) 【動画】記者も深く関わった20年前の大みそか大会を回顧する実際の動画
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