中西学「挫折はたくさんあったけどプロレスが好きだった」引退直前インタビュー(前編)

いつチャンスがきても最高の試合ができるように準備をしてきた【写真:山口比佐夫】
いつチャンスがきても最高の試合ができるように準備をしてきた【写真:山口比佐夫】

他人より時間をかけて失敗を繰り返しながら進んだ

 若い時、海外行った時、帰ってきた時、反体制になった時、また正規軍に戻ってやってきた時、第三世代とやった時…色んな局面がありましたけど、やっぱりやりがいを感じるのは、たとえなじられようが、応援してもらえる、声援をもらえる時。なかなかこんだけの人の前で試合はできないですよ。そういう中で、自分は何ができるのかなって、自分にしか出来へんもんを考えるようになってね。あまりにも突拍子もないようなことでも、まずはやってみて、そん中で、何かこう訴えるもんがあって、それをやってるっていうのをお客さんに見てもらって、わかってもらえたらいいなと、面白いと思ってもらえればいいなと考えてました。

 ただ自分は昔からいま置かれている立場があんまりわかってないなっていうところがあって、いまこれせなアカンのに「何でこんなことしてんの?」とかよく言われてね。アマチュア時代もそうですし、プロレスも10年経たないと、ものにならへんもんなんでね。ほんでプロレスラーとして大抜擢されてやったけどうまく波に乗れなくてね。他人より時間をかけて、失敗を繰り返しながら、「こういうもんなんや」って少しずつわかってきて、それで見方が変わってきました。もちろんプロレスが好きだったというのもありますし、負けたないっていうのもありましたけど、僕なんかは常にケツ叩かれておらなアカンのですよ。だから続けられたんでしょうね。

野人の雄姿をこの目に焼き付けろ【写真:山口比佐夫】
野人の雄姿をこの目に焼き付けろ【写真:山口比佐夫】

プロレスラー中西学の心得

 チャンスってそんなすぐに回ってくるもんやない。だから、プロである以上、いつチャンスがきても、最高の試合ができるように、ポテンシャルを出せるように、いつでも自己管理を徹底して準備しておかなアカンのですよ。プロレスの試合は10分やそこらで終わるかもしれへん。メインは、もしかしたら60分引き分けかもしれへん。ただ俺は「明日、急に誰と組まされても60分引き分けの試合出来るよ」と。急にビッグマッチ組まれることもありますから。いつでもできますっていうトレーニングはしとかなアカン。やっぱり過酷な練習というのが新日本プロレスの伝統ですから、それでいてトップの選手は自分の練習方法も持ってますからね。究極言うたら移動中の電車の中でもトレーニングしようと思ったらできますからね。

 でもね、ケガしてしもうたのは自己管理できへんかった、プロレスをなめてた。そういうしっぺ返しをしっかりくらって。復帰したまではよかったけど、自分の戦いができへんかったね、うん。(後編に続く)

□中西学(なかにし・まなぶ) 1967年1月22日生まれ。高校時代よりアマレスで活躍し、全日本選手権4連覇を達成。大学を卒業後の91年4月、新日本プロレスの「闘魂クラブ」に入団。92年に開催されたバルセロナオリンピックに出場した後、8月に新日本へ入門する。強靭な体格を生かしたケタ外れなパワーファイトで、99年に「G1 CLIMAX」優勝。2009年に悲願のIWGPヘビー級王座を獲得した。「野人」の愛称でも親しまれ、バラエティー番組でも活躍する。11年6月に地元京都での試合で首を負傷「中心性脊髄損傷」という大ケガを負い長期欠場となったが、12年10月に奇跡の復活を果たした。しかしその後、思うような戦いができず、1月7日に現役引退を発表、2月22日後楽園ホールでレスラー人生に幕を下ろす。

「中西学 引退記念大会」2月22日、東京・後楽園ホール、試合開始午後6時30分
《第6試合 60分1本勝負》
中西学、小島聡、天山広吉、永田裕志 VS オカダ・カズチカ、棚橋弘至、飯伏幸太、後藤洋央紀

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