電流爆破マッチの世界普及を狙う「涙のカリスマ」 デビュー47年・大仁田厚はまだまだ健在

2001年には政界にも進出

 波瀾万丈のレスラー人生は、1974年に全日本プロレスでデビューして始まった。85年1月に最初の引退をするまでは、王道のジュニア戦線で活躍した。

 タレント活動などを経て、88年にはリング復帰し、89年に自らFMWを設立。電流爆破マッチで旋風を巻き起こした。「涙のカリスマ」「デスマッチの教祖」などと呼ばれ、FMWの人気は新日本プロレス、全日本と並ぶほどだった。

 大仁田は全身傷だらけとなり、94年には縫合個所「1000針突破記念パーティー」を開催している。テリー・ファンク、天龍源一郎ら先輩大物レスラーを邪道のリングに上げ、引退と復帰を繰り返すようになる。

 その後、新日本にも登場。当時、現場監督だった長州力に「またぐなよ」と通告されたが、見事にリングまでたどり着き、佐々木健介、蝶野正洋、グレート・ムタ、長州力らと電流爆破で対戦している。

 2001年には政界にも進出。参議院議員となり国政に携わった。1期6年で政界からも引退したものの、10年には長崎知事選挙に立候補し落選、18年には佐賀県神埼市選挙で敗れている。

 レスラーそして政治家としても引退と復帰を繰り返している大仁田。両方の世界で縁の深い中牧昭二氏が12・19鶴見大会を訪れていた。試合前から政界、プロレス界にとどまらずさまざまな秘話を交わす2人。表も裏も知り尽くし、ともに栄光を味わい、辛酸をなめた同志の絆の深さを感じさせた。2人は王道・全日本の新路線に興味津々だった。

 デスマッチ戦士アブドーラ・小林は新年1・2東京・後楽園ホール大会で3冠王者ジェイク・リーに挑戦する。大仁田は王道のヘビー級王座には挑戦する機会がなかった。「お前はデスマッチ界の誇りだよ。3冠ベルトを奪ってこい。俺が挑戦してやる」とマイクアピールしていた。

 師匠の馬場さん、兄貴分だった鶴田さん、そして後輩の三沢光晴さんも亡くなった。川田利明も事実上、引退している。そんな中でレスラーデビューして47年の大仁田はまだまだ元気いっぱい。プロレス界の変遷を知り尽くしている男の奮闘にエールを送りたい。

次のページへ (3/3) 【写真】電流爆破マッチでの大仁田厚は輝いている
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください