27年前の伝説“1億円トーナメント”の舞台裏 仕掛け人が激白「決勝は高田×前田になったかも」
「MMAの大元になったのはUインター」
「帰りの車で高田さんと一緒に帰った時、高田さんが『あれはないよ!』って言ったの。だからどっちの意味かなと思って」
鈴木氏が思ったのは、高田が、前田による長州への顔面の蹴り方を批判したのか。それを受けきれなかった長州のことを指したのか。どちらの意味で「ないよね」と言ったのか、その点を即座には把握しずらかった、という意味だ。
「まさか仲間の前田さんのことをそんなヒドく言うわけないなと思ったけど、その時の高田さんは、前田さんのことを『あんなことをやっちゃダメ』みたいなことを言ったわけ。それを聞いて、俺は『ええ?』と思ったんだけど、思わず『そうだよね』って言っちゃったね(苦笑)。高田さんのことも好きだから。そう言うしかなかったの」
それでも心の中では「あれでいいんだ」と思っていた。その後、前田には無期限の出場停止処分が下り、最終的には解雇されることになった。
「でも、あれのおかげで新生(第2次)UWFの旗揚げ(1988年5月12日、後楽園ホール)につながった。だから結果的にそうなったのかどうかは分からないけど、私がポロッとしゃべったことが具現化されて、日本で素晴らしいことが起こった。これ、本当のことだから私は忘れない。過去の歴史は変えられないし、本当のことしか言ってないから、そのまんまでいいと思う。そんなくだらない、ちょっとしたことで歴史は変わっていくんだよ。だからPRIDEが生まれた可能性だってあるんだよ。元々は日本のほうが隆盛していたんだから」
1984年に(第1次)UWFが生まれ、88年には第2次UWFが旗揚げ戦を行い、翌年には東京ドームへ進出するほど、一気にUWF人気が爆発した。しかしながらその後、選手間の考え方の違いから、91年には(旗揚げ順に)藤原組、Uインター、リングスの三派に分かれ(93年には藤原組からパンクラスが生まれる)、U系と呼称されるようになった。一方、UFCが米国で生まれたのは93年11月だ。
「MMAの大元になったのは、Uインターで間違いないんだから。なんでかって言ったら、エンセン井上に聞いてみなよ。エンセンはなぜ(その当時所属していた)シューティング(修斗)ジム大宮で練習しないで、Uインターの道場に(愛犬の)修斗くんを連れて練習をしに来ていたのか。そのほうが練習になったから。みんな強いから。それはホントの話だよ」