27年前の伝説“1億円トーナメント”の舞台裏 仕掛け人が激白「決勝は高田×前田になったかも」
「このまんまでいいの?」 長州力顔面蹴撃事件の首謀者
鈴木氏がそこまで言い切るのには理由がある。
「私は道場での練習を見ているから。みんなガチガチにやっていたし、本当に強かったよ。新日本だってちゃんとやっていたでしょう。だったら、そういう部分をたまには見せてもいいんじゃないの? プロレスラーっていうのは強いんだよ。でも、毎日ガチガチの試合ばっかりしていたら、カラダがもたないから、ある程度のルールとマナーを設けて試合をしているのはしょうがない。だけど、その辺の腕っぷしが強いくらいのヤツがプロレスラーの相手をしたら、ホントに秒で半殺しにされるよ」
ちなみに、ここまで書いたのはUインターにまつわる話だが、実は鈴木氏はUWFに関する、衝撃的な一夜を間近で体感している人物である。
1987年11月19日、後楽園ホール。前田日明率いるUWF軍団は、長州をリーダーとする長州軍団との6人タッグマッチが組まれていた。この年の4月、長州が全日本プロレスから新日本へのUターン参戦して以来、実に半年以上も前田と長州がリング上で交わることはなかったが、この日、ついに激突することになったのだ。
「試合の前の晩に前田さんの住んでいた二子玉川のマンションに泊まったのよ。その時に、『このまんまでいいの?』って言ったんだよね。『ある程度、(ガンガンに)行ったほうがいいんじゃないの?』って」
すると前田は「ホンマ? だよね」と答えたという。
そして迎えた試合当日、6人タッグとはいえ、会場全体は独特な雰囲気に包まれていた。
結果として試合は、長州が木戸修をサソリ固めをかけようとしている段階で、前田が長州の背後から近づき、長州に対してハイキックを一閃! あろうことか長州の顔は見るみるうちに腫れ上がり、いわゆるお岩さんのような状態に。この攻撃に関しては、いまだに諸説あるが、後世に語り継がれる衝撃的な場面を現出させた。
結局、試合は高田が長州のラリアートに沈み、長州軍に軍配が上がったが、試合結果よりもはるかに前田の行動は大きな波紋を呼んだ。
鈴木氏は思った。
「私はその時に『ヤッター! よっしゃこれでいいんだ』って思ったよ。ファンは誰が一番強いのかが知りたいんだ。ホントにそれは日本人の深層心理の中にある。前田さんには何度もそのことを念仏の様に話していたしね。そしたら、ああいう結果になったんだから」
しかし鈴木氏の思惑とは多少違った見解を、後楽園ホールから帰る車の中で聞くことになる。