日本を代表する名バイプレーヤー、俳優歴60年の寺田農がなりたかった、もう一つの職業

俳優の寺田農(78)が本格的時代劇「信虎」(11月12日公開、金子修介監督)で36年ぶりに映画主演を果たした。戦国時代の名将・武田信玄の父、信虎の知られざる晩年を描くもの。俳優歴60年の名優だが、「もともと俳優になりたかったわけではなかった」と明かす。

日本を代表する名バイプレーヤーとして活躍する寺田農【写真:ENCOUNT編集部】
日本を代表する名バイプレーヤーとして活躍する寺田農【写真:ENCOUNT編集部】

本格的時代劇「信虎」で名将・武田信玄の父、信虎役「長生きしてみるもんだな」

 俳優の寺田農(78)が本格的時代劇「信虎」(11月12日公開、金子修介監督)で36年ぶりに映画主演を果たした。戦国時代の名将・武田信玄の父、信虎の知られざる晩年を描くもの。俳優歴60年の名優だが、「もともと俳優になりたかったわけではなかった」と明かす。(取材・文=平辻哲也)

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 私学屈指の難関、早稲田大学政治経済学部在学中の1961年に文学座附属演劇研究所に1期生として入所し、その年に初舞台をふんだ寺田。岡本喜八監督の「肉弾」(1968)では毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。その後は実相寺昭雄監督、相米慎二監督作品の常連として、その名を馳せ、日本を代表する名バイプレーヤーとして活躍。そのキャリアは60年に及ぶ。

 俳優をやめようかと思ったことはなかったのか。「何度もありますよ。最初から役者になりたいってなったわけじゃないし、大学も行っていた。友達にくっついて行ったら、文学座研究所で、樹木希林とかの同期になっちゃっただけ。それで、三島由紀夫の舞台に抜てきなんて言われてね。大学には行けなくなっちゃうと思って、早く辞めたかった。それがズルズルとなってしまって……」。

 その後、大学は中退してしまう。「大学にも帰れないし、さあ、どうしようかって。その時は役者みたいな虚業はダメだ、手に職をつけないといけないと思って、美容師の通信教育を受けた。夏に1週間のスクーリングがあったけども、撮影とかぶっちゃったんで、結局、美容師の夢もなくなった。ただただズルズルと流されるままに60年やってきたっていうのが本当のこと。だから、真面目に聞かれると、本当に恥ずかしい」と笑う。

 映画主演は相米慎二監督の「ラブホテル」(1985)以来だ。「主役は大変だね。飽きっぽい私としては。毎日撮影しなきゃいけないから。映画は最終的には監督のもの。役者って、言ってみりゃ、芸者さんと同じ。座敷がかからないと始まらない。何もこれやりたい、あれやりたいなんて言ったってしょうがないわけでしょ。そんな中で、この信虎の話が来て、長生きしてみるもんだな、と。この信虎は享年81だけども、僕は78歳なんで、あと2、3年はまだまだサシミでも食えるよ」。

 本作は信玄(永島敏行)によって追放され、京で足利将軍家の奉公衆となった信虎が、追放から30年後の元亀4(1573)年、信玄の危篤を知り、復権のため甲斐への帰国を試みるストーリー。80歳になった信虎は、家名存続のために最後の知略を巡らせる……。

「最初に監督とプロデューサーに聞いたのは『なんで俺なの? 誰かに断られたから、来たんだろう』って。そうしたら、『寺田さんにはこの歳になっても、何をやるかわからない危険性がある』って。それは、大変なほめ言葉だよね。それで『色気もある』って言うんだ。若い頃から、生涯不良で行こうというのはモットーだったから、そういう意味では信虎は適任だな、と」。

 読書家としても知られるが、信虎の実像はこの映画で初めて知った。「いろんな形で勉強したんだけども、とても面白い。かなりの戦略家で、武将としても政治家として優れている。ただ残念ながら、老いというかな、少しボケも入っていたんじゃないかな。『わしがやらねばならぬ』みたいな早とちりをするんだね。実際、みんな期待していないし、時代は織田信長の天下になっていくわけ。そういう悲哀も面白い」。

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