PUFFY、子育ては「楽しいばかりじゃない」 デビュー25周年に母親目線の歌詞を書いたワケ

2人の関係性は25年間変わらないがPUFFYとしての変化はあった【写真:塩見徹】
2人の関係性は25年間変わらないがPUFFYとしての変化はあった【写真:塩見徹】

PUFFYに新しい風を吹かせてくれた人

――これまでいろんなメディアでもお話をされていますが、コンビとして25年間まったく変わらないってほかにはいないですよね。例えば姉妹コンビなら分かるのですが、他人同士でここまでつながれる関係ってほかを見渡してもなかなかいないですよね。

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亜美「私たち自身はなんでそうなのか分からないですけれど」

由美「他人だからこそ良かったっていう部分はあるかもしれないですね。ちゃんと線引きができるから。でも25年たとうが生活の環境が変わろうが、2人の関係性はあんまり変わってないですね」

――PUFFYとしての変化は?

亜美「デビューした頃は経験も少なかったので、ちょっとした出来事ですぐに『わーどうしよう?』ってなっちゃうこともあったんですが、だんだん経験を積んで、仕事に対しての向き合い方なんかは、少しずつ大人になってきてるのかなって。あとは、良い意味で『どうでもよくなる』(笑)。その辺は変わったかなって思いますね」

――あえて白黒はっきりつけないことがお互いにとって良いことだったとか?

由美「確かにそれはあるかもしれないですね。デビューから今までずっと同じ環境、同じ状況に立っているのは、この2人しかいないんですよね。だからつらいことも分かり合えるし。もちろん周りはみんな私たちの味方なんですけど。なんて言うか…お互いに唯一の理解者だと思っているから、ぶつからないのかなって。あとは毎日仕事で一緒になるので、もめている暇がない(笑)」

亜美「それもあるかも(笑)」

――ありがとうございます。最後に先ほど由美さんがおっしゃった「私たちの味方」が今でもたくさんいらっしゃると思います。そこであえて1人お世話になった人の名前を上げるとしたら? 奥田民生さん以外でお願いします(笑)。

由美「ええ?(笑)。絶対的にお世話になっているのはやっぱり奥田民生さんなんですよね。民生さんあってこそ自分たちがあると思っているので。でもそこは置いといて!ですよね?」

亜美「(※)原田(公一)さんは、PUFFYという存在を作ってくれた1人ですね」

由美「確かに原田さんも重要な存在だよね。それを言ったら(※)アンディー(スターマー)も絶対じゃない?」

亜美「そうね。アンディーに名前を付けてもらったし。PUFFYに新しい風を吹かせてくれた1人です」

由美「アンディーが海外に行くきっかけをくれて。それはすごく大きかったです。英語の曲を作ってくれたり。英語で歌おうってきっかけもアンディーですし。世界に目を向けて活動できるようになったのは彼がいたおかげですね」

(※1)PUFFYが所属する事務所の元社長。アニメ「ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ」(カートゥーン ネットワーク)ではカズ(Kaz)というキャラクターで登場する。
(※2)PUFFYのプロデューサー兼ソングライターでPUFFYの名付け親。

□PUFFY(パフィー)大貫亜美(1973年9月18日生)、吉村由美(1975年1月30日生)。1996年、奥田民生プロデュースによるシングル「アジアの純真」でデビュー。その後、「これが私の生きる道」「サーキットの娘」「渚にまつわるエトセトラ」など次々とヒットを連発。アジア・北米など海外での音楽活動も積極的に行い、各国で人気を博す。2004年11月から全米No.1アニメチャンネル「カートゥーン・ネットワーク」にて、彼女たちを主人公にしたアニメ番組「ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ」がスタート。初回放送は過去最高視聴率を記録し大ヒット。110か国以上で放送される。06年アメリカでの音楽活動およびアニメの大ブレークなどを評価され、国土交通省よりビジットジャパンキャンペーン米国親善大使を任命されるなど日本のポップ・アイコンとして、世界を舞台に活動中。

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