RIZINバンタム級GP大予想 格闘技界で20年間生き残ってきた「DEEP」佐伯代表を直撃
20年やって最も印象深いファイターはあの男
さて、佐伯代表はといえば、かれこれもう20年も「DEEP」を開催してきた。その間に、14年の大みそかにはさいたまスーパーアリーナでも開催したし、今年に入ってからは「DEEP 100 IMPACT」(2月21日、東京ドームシティホール)として記念すべき100回目の大会も実現したが、これはあくまで本戦の大会であり、大小合わせると、現在までに400大会前後を開催してきている。
そして、そうした数ある大会の中でも最も印象深い大会が他に存在するという。
「その話をしたら、田村潔司選手になっちゃうでしょう。やっぱりこの業界をやり始めて、初期の頃は、覚えてますかね? (田村がエースだった)U-STYLEもあったじゃないですか」
U-STYLEとは、田村が最初に入門したUWFの格闘スタイルをリング上で披露、繰り広げるイベントのこと。佐伯代表はこれを20回近く主催した。
「そういう意味では、田村VS美濃輪育久(現ミノワマン)があった6回目の大会(DEEP2001 6th IMPACT=02年9月7日、有明コロシアム)になっちゃうでしょう。その後、14年大みそかにも大会をやりましたけど、どんな大会よりも、あの6回目の大会になっちゃうし、あの試合を組むのに、どれだけ苦労するか…」
これは田村と関わった人間でなければ理解できない話になってしまうのだが、特にこの頃の田村の決断力の重さは尋常ではなかった。遅いとか鈍いという表現よりも重い、のほうがニュアンスが近いのでそう書いてしまったが、例を挙げると、03年に大みそかのPRIDE(厳密には「男祭り」)で企画された、田村VS桜庭和志が実現したのは、5年後の08年大みそかだったのだから、もう常識の範ちゅうでは語ることができない。
「そういう意味では、あの何年間。U-STYLEを含めて、いろんな思いがあるじゃないですか」と佐伯代表は振り返る。
「5年前くらいに突然、(田村から)連絡があって『今から来て』って言うんですよ。だから『え! 僕もスケジュールがあって…』って答えたら、『こういうのはタイミングだから』って言われて」と話す佐伯代表。田村にとっては昔の彼女に近い感覚なのだろうか?
それでも、佐伯代表が面白いのは、どれだけ田村から理不尽とも思えるような態度を示されようと、そのツラさが逆転する瞬間があるという話だった。
「(田村は)試合をさせると天才ですよね。仕事で意見が合わないと、なんだこの人ってなるけど、試合を見ると、『やっぱりすげえなぁ』ってその瞬間は思う。でもその後、すぐに現実に戻されるんですけどね(苦笑)」
確かにいろいろあったのだろうが、今となっては懐かしい思い出なのだろう。
「あの頃は、土下座して頼んでも、物事がうまく行かないことがあるんだっていうのを初めて思いましたね。何を言っても無理っていう。20年間でこのカードを組もうとして組めなかったっていうのはありました。1個だけ。そのときに、なんともならんっていうのは思いましたね、実際」
それだけ田村にとっても重要な対戦カードだったに違いないが、今となっては実現しなかったことで幻想が保たれたと考えるしかない。
「15年以上前のことは忘れているけど、そういうのは覚えていますよね」