ミスDJ千倉真理さんの素顔 夫亡くし2人の子を育て「毎日を楽しむお母さん」
絵本プロデューサーの顔も「みんなラジオでつながっている気がします」
ミスDJとして生きて40年。千倉さんの人生にどんな影響を与えたのか。
「『ミスDJ』があったから『千倉真理の地球はまあるいよ』という番組ができました。外務省の制作協力の番組。そこで出会った外務省の人と結婚しました。私の人生をここまでバラエティーに富んだ人生にしてくれるとは思わなかった場所」
81年のミスDJ選考会の審査員だった加藤タキさんとはその後も親交があり、絵本を贈った縁で、加藤さんの夫を介して本の反響があり、昭和の香りのする千倉書房が忙しくなった。学生時代に文化放送でアルバイトをしていた小山薫堂氏も翻訳を引き受けてくれた。
「絵本の仕事を2006年からはじめ、ラジオで出会った人たちに協力してもらい、助けてもらってやっています。出版の仕事はラジオのおかげ。夫が亡くなって、その後、元気になってから2016年に再びラジオの仕事。みんなラジオでつながっている気がします」
話しぶりは滑舌が良く、明るく、元気。エネルギーの塊のような印象だ。仕事を離れた素顔も気になる。家庭では、どんな母親なのだろう。
「夫が亡くなったときは息子が中2で娘が高3でした。どうしようかと思いました。でも受験を無事に終えて……そうですね、お母さんとしては、ズッコケ母さんかもしませんが、私たちは前を向いて生きましょうという感じでいたので、めちゃ明るいんです。娘も息子も明るく、何にでもトライする感じに育っています。数年前は、娘の彼氏のフランス人をホームステイさせたり、と子どもの成長に合わせて毎日を楽しむお母さんです」
今後、ラジオを通してリスナーに何を提供してくれるのだろうか。
「コロナ禍にあってラジオがあって良かったと言う人が本当に多いんです。私もこの番組で力をもらえるし、番組を通してコロナ禍を乗り越えるのが使命と思っています。みんなでつながって乗り越えていきましょうねと。やっている間は本当にお友達のつもりでいます。ラジオでは、リスナーさんの思いと人生が乗ることによって、その曲に魔法がかかるときがあるんです」
魔法のせいか分からないが、言葉を発する勢いや笑顔を見ていると、明るさ、元気は80年代の頃と変わっていない気がする。「やるっきゃない」と生きている。