【追悼】81歳、急性肺炎で死去したジェリー藤尾さん 次女と同居し元妻と和解した最晩年

歌手で俳優のジェリー藤尾さん(本名・藤尾薫紀=しげき)が14日、COPD(慢性閉塞性肺疾患)による急性肺炎で死去した。81歳だった。

腕っぷしが強く“中央線の鬼”といわれた

 歌手で俳優のジェリー藤尾さん(本名・藤尾薫紀=しげき)が14日、COPD(慢性閉塞性肺疾患)による急性肺炎で死去した。81歳だった。

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 藤尾さんは1940年、中国・上海生まれ。元NHKアナウンサーの父とイギリス国籍の母を両親に持つ。戦後の46年に帰国し、新宿のジャズ喫茶に飛び入りで歌っているところを芸能界にスカウトされた。61年に「悲しきインディアン」で歌手デビューし、同年のNHK紅白歌合戦に出場。翌62年「遠くへ行きたい」がNHKの人気バラエティー番組「夢であいましょう」に採用されて大ヒットした。

 本人によると、新宿では知らない者がいないほどの不良少年で、“中央線の鬼”との異名をつけられ愚連隊の用心棒を務めた時期もあった。「新宿に行って勝ちまくった」と武勇伝を語ることもあったという。

「デビューまもない62年2月に暴力団を返り討ちにしたエピソードが伝わっています。麻布のクラブで飲食しているところを刃物を持ったヤクザに襲われたが、藤尾さんは素手で応酬して撃退。ただ、藤尾さんは目の上などに全治2週間のケガを負った。五反田の自宅で寝込む姿が報じられ、そのことも知名度を押し上げることになった。白人とのハーフながらそれほど背が高くなかったけど、動きが敏捷な人でした。米国俳優のスティーブ・マックイーンタイプですね」(芸能記者)

“西洋風の顔立ち”が女性たちを魅了した

 藤尾さんがデビューした60年前後の日本はロカビリーブームが席巻していた。若者たちがアメリカナイズされ、「アメリカの文化はかっこいい。日本の文化は古臭くてかっこ悪い」とされた時代。藤尾さんの“西洋風の顔立ち”は若者が持つ白人への羨望(せんぼう)を刺激して女性たちを魅了した。

 藤尾さんは歌のほかに「用心棒」(61年)や「銀座の恋の物語」(62年)など多数の映画に出演した。ただ、俳優としては代表作に恵まれなかった。

「63年に『ジェリーの森の石松』に主演しましたが、その後は脇役として活躍した印象が強い。やはり主戦場は歌で、それも風貌を生かして洋風の曲を歌っていた。40歳代だった80年代にテレビ番組にゲスト出演して『ヘイ・ポーラ』を歌っていたのを覚えています。オールディーズを歌わせるとサマになる人で、テレビに重宝されていました」(ベテラン芸能マネジャー)

次のページへ (2/3) 「やすらぎの刻~道」で15年ぶりドラマ出演
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