【愛車拝見】「パリダカ」日本人初総合優勝の篠塚建次郎が普段乗る車に「まったくこだわらない」ワケ

「パリダカ」で総合優勝したときのヘルメット。重い!【写真:山口比佐夫】
「パリダカ」で総合優勝したときのヘルメット。重い!【写真:山口比佐夫】

72歳でも現役でラリーに出場している

 ラリーは常に死と隣り合わせですから過酷です。実際、大事故を何度も経験しています。それでも、道なき道を走るスリル、誰よりも早く走る爽快感、1分1秒を惜しんで走りを極める充実感、目標に向かってチームで結束する連帯感などは他では得られないものがありました。今、振り返ると「楽しかったな」と思いますね。

 ラリードライバーをやっていて一番うれしかったのは、1997年にパリダカで総合優勝したときですが、87年に総合3位になったときも同じぐらいうれしかったですね。後で知ったことですが、私たちがアフリカを懸命に走っていたとき、日本ではNHKが毎日レースの模様を放送し、おかげでラリーというものが日本中に広く知られるようになりました。当時は中嶋悟君(68)がF1ドライバーとして活躍していましたから、レースとラリーで日本のモータースポーツがもっとも盛り上がった時だと思います。私がそうしたブームの一端を担い、自分のやっている競技を一般に知ってもらえたことを誇りに思っています。

 ラリーには今も出場していますよ。ここ4年は東京大学工学部3年生の授業に協力し、学生が整備したホンダのシビックや日産のチェリー、三菱の初代ランサーに乗って「ラリー・モンテカルロ・ヒストリック」に出場したり、2年前には“70歳の挑戦”と銘打って、いすゞのD-MAXに乗って「アフリカエコレース」を完走したり。この10月には65年製の三菱コルト1100Fで、長野県で行われる「日本アルペンラリー」に出場します。また、年2回、日本で行われるクラシックカーラリー「ラ・フェスタ・ミッレミリア」「ラ・フェスタ・プリマベラ」には、知人の1949年製の英国車ヒーレー・シルバーストーンで出場しています。クラシックカーはちゃんと運転しないと機嫌が悪くなるから面白い。とっても魅力的ですね。

□篠塚建次郎(しのづか・けんじろう)1948年11月20日、東京・大田区生まれ。東海大学工学部1年次にラリーに出場し始め、三菱自動車のワークスチームにスカウトされた。71年に大学を卒業し三菱自動車入社。業務のかたわら91、92年WRC(世界ラリー選手権)アイボリーコーストラリー2連勝、97年のパリ~ダカールラリー(パリダカ)で日本人初の総合優勝を果たすなど、サラリーマンドライバーとして国内外のラリー競技で活躍した。2002年、退社。02~05年まで日産自動車と契約。その後もソーラーカーラリーやクラシックカーラリーで走り続けている。私生活では87年、俳優・三浦友和の姉と結婚し1男(俳優・絲木建汰)。

次のページへ (4/5) 【写真】篠塚建次郎さんの愛車とペンション「ら・べるでゅーら」に飾られているトロフィーなど
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