【ズバリ!近況】“ミスター・アマチュア野球”杉浦正則はニッセイで法人営業部長「野球の方が楽だった」

法人営業の仕事に精を出す日々だと語った【写真:ショーン】
法人営業の仕事に精を出す日々だと語った【写真:ショーン】

野球から保険の営業マンへの転身は「つらかった」

 五輪以外の、私の野球との関わりは、今は日本野球連盟の競技力向上委員を務め、土日に社会人野球やクラブチームの新人研修を行ったりすることと、高校野球の解説ぐらいです。シドニー五輪のあった2000年のシーズンで現役を引退し、その後は日本生命野球部の投手コーチや監督を務めていました。でも、それも09年までで、それからは日本生命の一社員として法人営業の仕事をしています。

 日本生命野球部の拠点は大阪だったのですが、翌10年、42歳で東京へ転勤になり、それからはずっとコッチです。最初の1年、大企業や官公庁を担当するホールセール部門で保険の勉強をさせていただきました。それまではシーズン中、ほぼ野球だけをやっていたので、まったく違うことをイチから始め、それはつらかったですよ。保険についてどころか、もっと基本的な用語の意味が分からない。例えば、会議で「この成功事例をヨコテンしといて」とサラッと言われても何のことかサッパリ。周りの人に「横に展開して、という意味だ」と教えてもらっても分からない(笑)。そんなところからですから、頭の中が疲れました。

 若い人に頭を下げて教えてもらうことに、プライドが傷ついてつらかったわけではありません。野球でそれなりの結果を出せたといっても、1人で築いたものではないし、野球の世界の中のことだけだと分かっていましたから。そうではなくて、私の知識や経験が不足しているために、イチから教えてもらわなくてはいけなくて、事務方などに時間や手間を取らせてご迷惑をかけることがつらかったんです。そして、自分が野球を指導していたとき、「これぐらい分かるだろ」と思い込んで教えていたんじゃないか、選手一人一人の性格や知識、経験に合わせて話をしなくてはいけなかったんじゃないか、とすごく反省しましたね。

 周りのサポートを受けながら仕事を覚え、3~5年ごとに部署を異動し、この4月に都心担当の首都圏法人営業第一部から、第四部に異動になりました。東京や千葉の支社の管轄企業を担当させていただいています。企業保険のコンサルをしたりご支援をしたり、保全をしたり、といったお客様と保険の専門家の間の橋渡しですね。飛び込みまではいきませんが、新規の企業を開拓することもありますよ。僕の名刺を見て、顔を二度見されたりすることも(笑)。肩書きは法人部長です。いや、なかなか大変な仕事です。やれることを全力でやらせていただいていますが、野球をやっていたときの方が楽でしたね(笑)。

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