【プロレスこの一年 ♯47】猪木が新技「卍固め」でBI砲がタッグ王者防衛 ドリー・ファンクJr.が初来日 69年のプロレス

ジャイアント馬場(写真は85年)【写真:平工幸雄】
ジャイアント馬場(写真は85年)【写真:平工幸雄】

ドリー・ファンクJr.が馬場猪木を相手に連日の60分バウト

 7月2日、NET(現テレビ朝日)が「ワールド・プロレスリング」をスタート。初回は日プロ6・23大田区の録画中継だった。日プロでは7・3蔵前で馬場がフレッド・ブラッシーを破りインターナショナル王座を防衛、猪木&大木金太郎組がブルート・バーナード&ストロハイム組を退けアジアタッグ王座を防衛した。が、試合後には大木がベルトを返上。空位となった王座は8・9名古屋で争われ、猪木が吉村道明とのコンビで奪回に乗り出し、クラッシャー・リソワスキー&アート・マハリック組を破って新王者となった。大木はマリオ・ミラノを破りアジア・ヘビー級王座を防衛した。

 8・11札幌では、BI砲がディック・ザ・ブルーザー&リソワスキー組に敗れ、この年2度目のインターナショナルタッグ王座陥落。しかし、2日後の再戦でベルト奪回に成功した。この試合でも決勝の3本目を取ったのは猪木の卍固めだった。タッグ2冠王の猪木だが、ミスター・アトミック&キラー・オースチン組との対戦でクレームがつき王座は空位に。すると10・30岐阜で改めて王座決定戦が行われ、猪木&吉村組が再びアジアタッグ王者に返り咲いてみせた。日プロでは11月14日にヒロ・マツダが帰国、後楽園ホールでホッジとのシングルが組まれたが、これは国際旗揚げ戦(67年1・5大阪)のメインと同一カードでもあった。

 日プロ11・28蔵前に、当時28歳のNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンクJr.が初来日し第1戦。7月にアメリカでロビンソンの挑戦をドローで退けていたドリーは、NWA世界ジュニアヘビー級王者のホッジとNWA王者コンビを結成し、BI砲のインターナショナルタッグ王座に挑戦した。試合は60分戦い抜いての引き分けで、王者が防衛に成功。ドリーは12・1広島でハーリー・レイスと組み、猪木&吉村組のアジアタッグ王座にも挑戦した。翌日の12・2大阪では猪木と60分フルタイム、その翌日の12・3東京体育館では馬場と60分フルタイムでドリーがNWA王座を連続防衛。東京大会では、馬場が初公開となるランニングネックブリーカードロップで1本目を先取している。そのまた翌日の12・4札幌では、ドリーがオースチンと組んでBI砲のインタータッグ王座に挑戦。パートナーのオースチンが馬場に敗れ、王座奪取はならなかった。とはいえ、この短期間に60分フルタイムの連続、しかも馬場、猪木といった日プロのエースと連日の60分である。現在のプロレスと単純比較はできないが、当時のドリーがどれだけタフだったかをあらためて思い知らされる結果である。

 日プロでは12月12日、後楽園ホールにて「力道山7回忌追善試合」を開催。シリーズ終了後は馬場がアメリカ遠征に出発し、12月19日のロサンゼルスにてフリッツ・フォン・エリックを破りインター王座を防衛。海外遠征中のグレート小鹿は10月24日にUS王座を懸けて対戦したミル・マスカラスと再戦を行い、金網デスマッチで勝利。マスカラスからアメリカス・ヘビー級王座を奪取してみせた。(文中敬称略)

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