【ズバリ!近況】トランスジェンダーで紅白紅組出場の中村中さん、公表前も後も「生きづらさ感じない」

2006年、男性の身体ながら女性の心をもつトランスジェンダーであることを公表し、翌年、NHK紅白歌合戦に紅組で出場して大きな話題になった中村中さん(34)。その後、LGBT(性的マイノリティ)という言葉が広く浸透していったが、そのきっかけにもなった中村さんは、今、生きづらさは減ったと感じているのだろうか。中村さんに聞いてみた。

「良い方向に少しずつ着実に進んでいる」と力強く語る中村中さん【写真:山田隆】
「良い方向に少しずつ着実に進んでいる」と力強く語る中村中さん【写真:山田隆】

一概に生きづらさが減ったとは言えない

 2006年、男性の身体ながら女性の心をもつトランスジェンダーを公表し、翌年、NHK紅白歌合戦に紅組で出場して大きな話題になった中村中さん(34)。その後、LGBT(性的マイノリティ)という言葉が広く浸透していったが、そのきっかけにもなった中村さんは、今、生きづらさは減ったと感じているのだろうか。中村さんに聞いてみた。

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 たしかに、LGBTという言葉はかなり浸透して、テレビドラマとかで題材にされることも増えています。同性パートナーシップ制度を施行している自治体も増え、同性でも家族と同程度の権利が認められるようになってきました。良い方向に少しずつ着実に進んでいると思います。

 一方で、4年前、ゲイだと言いふらされて自殺してしまった一橋大学法科大学院の学生がいたように、心ない行動をとる人、人の気持ちを慮れない人はあいかわらずいるわけです。親とかに相談しやすくなったかどうかは、その家族によって違うでしょう。だから、一概に生きづらさが減った、とは言えないんじゃないでしょうか。

トランスジェンダー公表は周りに説得された

 私自身がトランスジェンダーだと公表したのは、2枚目のシングル「友達の詩」の歌詞をよく理解してもらうには、私のパーソナルな部分を知ってもらったほうが良いのかもしれないと思ったから。当時は今よりもっとマイノリティに不寛容な時代だったので、公表に慎重にはなりました。でも、レコード会社の方や事務所の人に「どういう人が歌っているかは大事だよ」と、すごく説得されたんです。

 公表した結果、生きやすくも生きにくくもなった気はしませんけど、そういうことより困ったのは、取材のときに歌よりセクシュアリティについてコメントを求められたことですね。そういうことを話す才能がないので、戸惑うことが多かったです(笑)。

“LGBT”といっても一緒くたにできないし、私自身、そこにひとくくりにされるのはイヤ。都会と田舎でもずいぶん違うと思うんですけど、都会は本当にいろんな人がいるから、私はあまり生きづらさを感じていません。でも、それは以前から同じ。ここ十数年で生きやすくなった、と感じているわけではありません。

差別に目くじらを立てなくなった

 マネージャーから、私がトランスジェンダーだという理由でイベント出演を断られた、と聞いたことはあります。ネットには「やっぱり声は低いんだな」とか、軽く差別的なことを書かれています。傷つかないわけではありません。でも、最近はいちいち目くじらを立てなくなりました。相手にしない。強い? そうかもしれませんね(笑)。

 子供の頃はいじめられて、失語症で苦しんだ時期もありましたよ。でも、10代の頃って、みんないろいろあるじゃないですか。だから、自分だけ特別苦しかった、っていうのもおかしいなと思っています。

 去年から合唱を始めました。私が学校でいじめられていた時、合唱が始まると、さっきまで私をいじめていた人も一緒に、いつの間にかみんなで歌ってて。その調和が不可解だったんですけど、平和のひとつのカタチだな、という心境にたどりついたんです。それで、ずっと1人で歌ってきましたけど、みんなで歌いたくていろんなミュージシャンに声をかけ、今年は12月28日に2回目の公演を東京・下北沢で行いました。私が作った合唱曲とかポップス、童謡を歌ったんですよ。いつか旅もしたいですね。

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