21歳の新星yukaDD(;´∀`)、夢はグラミー賞「2年後に獲ります!」TWICE・MOMOとのコラボで注目
母親のひと言で諦めかけていた夢をつかむ
――早くデビューして家族を助けたいと。
「はい。お母さんを早く楽にさせてあげたいって。プロになりたいと思ったんですが、自分には何一つつながりもないし、周りの友だちはどんどん進路が決まっているのに私だけ迷っていて。それで歌を諦めようとお母さんに相談したんです。今までなら『やめたかったらやめなさい』と言っていたお母さんが『まだ諦めたらあかんのとちゃう?ユカは、力があると思うし、それを使わずに諦めるの?』って言ってくれて。その言葉で、“もう1回一生懸命やって、高校3年間で、結果が出なかったら歌を諦めよう”と覚悟を決めて音楽の高校に入りました」
――そこでオーディションがあったんですね。
「高校2年生の時に、学校内のオーディションがあって、私はまだ完璧に仕上がっていなかったのでキャンセルしようとしたら、先生に『絶対に受けたほうがいい』と勧められて。本当に急だったんですが翌日オーディションを受けました」
――いかがでしたか?
「やるからには絶対成功するって気持ちで受けましたけど、何も準備してなかったので正直手応えはよく分からなかったです。その後、国語の授業中に、お腹がすいて先生がいなくなった隙に牛丼を食べていたんです(笑)」
――授業中の早弁が牛丼だなんて豪快(笑)。意外とやんちゃなタイプだったんですね。
「そうですね。授業中に牛丼食べる女子って何?って思いますよね(笑)。食べていたらいきなりバッとドアが開いて先生が『ユカちゃん、校長先生が呼んでるから』って。私は『やばい!牛丼食べてるのバレた!』と思って。校長室に行ったら、『オーディション合格したから』って言われて。最初は“牛丼バレてなかったー!”と思ったんですが、“え?合格したの?”って(笑)。続けて『2週間後にロサンゼルスに行ってレコーディングしてきてください』って言われて。何が何だか分からなくて『あ、はい』って感じで」
――牛丼で話が入ってきませんが(笑)。びっくりしたでしょう。
「そうなんです。海外行くのも、飛行機に乗るのも初めてで。当時は英語も全く分からないし。お母さんに報告したら、私と同じように『えっ?』って固まっていました(笑)。子どもの頃からの夢をかなえるために、絶対にここで全部の力を出し切るぞって思ってLAに行きました」
――LAでのレコーディングはいかがでした?
「行ったその日に曲を渡されて、『明日までに覚えてきてね』って。自分は試されているんだと思ったので“絶対明日までに覚えて完璧に歌おう”って気合を入れて挑みました。でもLAでの2週間は完全にスタジオとホテルの行き来だけで、街を見る余裕もなく、レコーディング以外にも海外のコーディネーターさんにネイティブな発音を習ったり、全てが初めてなことばかりだったので、もう毎日『やばい!やばい!』ってほんまに焦りながら一生懸命作った最初の曲がインディーでリリースした『HIGH SCHOOL FUNK!!!』という曲でした」
――LA滞在中にお母さんと話しましたか?
「電話したら行く前の自分に戻っちゃうから絶対にお母さんには電話しないと決めて気を張ってました。家に帰ってから出来上がった曲をお母さんに聞いてもらったら、めっちゃ喜んでくれて、思い出の曲になりました」