円谷プロ史上最大の祭典「ツブコン」14日開幕! 俺たちの原点「ウルトラQ」を振り返ろう
「ウルトラQ」。その不思議なタイトルの番組がスタートしたのは1966年が明けてまもない1月2日、日曜夜7時のこと。お茶の間で毎週新しい怪獣が見られるのは、日本の特撮映画の歴史で画期的な出来事であり、テレビ史における新ジャンルの誕生でもあった。
「ウルトラQ」がスタートしたのは1966年
「ウルトラQ」。その不思議なタイトルの番組がスタートしたのは1966年が明けてまもない1月2日、日曜夜7時のこと。お茶の間で毎週新しい怪獣が見られるのは、日本の特撮映画の歴史で画期的な出来事であり、テレビ史における新ジャンルの誕生でもあった。
続いて放映された「ウルトラマン」で怪獣ブームはさらに拡大し、番組はシリーズ化されるに至る。以降、昭和~平成~令和と時代を超えて、エンタメ業界における揺るぎない存在として人気を得ている「ウルトラマン」。その原点となったのが特撮テレビ映画「ウルトラQ」なのである。
「ゴジラ」をはじめ、東宝で人気を得ていた特撮映画がテレビの世界にも望まれ、1963年4月に設立されていた円谷英二特技監督率いる「円谷プロダクション(当時は円谷特技ブロダクション)」にTBSと協議を進めていた企画が本格的に動き出したのは64年の春ごろだったという。
東京オリンピックがなければ、ウルトラシリーズは存在しなかった?!
日本中が東京オリンピック開催に向けて沸いていた中、8月には「UNBALANCE(アンバランス)」の題名で正式に製作が決定し、9月にクランクイン。その頃の通常のテレビ映画に比べると2~3倍にあたる、30分で1本500万円という破格な予算が充てられ、劇場用映画と同じ35ミリフィルムでの撮影が決まった。それ以前から存在していた「月光仮面」や「七色仮面」、「ナショナルキッド」などの特撮ヒーローものとは明らかに一線を画していた。
当初は米テレビの「トワイライト・ゾーン」や「アウター・リミッツ」を想起させるような、SFホラーファンタジーのアンソロジー的な番組になるはずであったが、撮影のごく初期段階で局側の要請に基づいて怪獣が主体のストーリーに路線変更され、タイトルも「ウルトラQ」となる。東京オリンピックの体操競技から生まれた流行語“ウルトラC”が発想の源となった。つまりは64年の東京オリンピックが無かったら、現在に至るまで連綿と続いている「ウルトラ」と冠されたシリーズは存在しなかったか、あるいはあったとしても違う名前になっていたことだろう。
また、“Q”の文字は、“謎”を意味する“QUESTION(クエスチョン)”の頭文字からとられた。同時期に同じTBSで人気を得ていた藤子不二雄原作のアニメ「オバケのQ太郎」は日曜の夜7時半から放映されており、日曜夜7時台のTBSは「ウルトラQ」と「オバケのQ太郎」の“Q・Q路線”を採り、文字通りの“Q”アワーとなった。
放映第1話に登場した「ゴメス」と「リトラ」を筆頭に、「ナメゴン」「ペギラ」「ガラモン」「カネゴン」「パゴス」などなど、魅力的な怪獣が次々に登場し、漫画雑誌や週刊誌のグラビアを賑わした。実に1年3ヶ月に及ぶ製作期間を経た後に満を持して放映が開始された番組に対し、当初は少々辛口だったマスコミの対応も徐々に好意的なものになってゆく。なにより俄然作品を支持した大衆の素直な反応には屈せざるを得なかったに違いない。常時約30パーセントの視聴率を維持し、後番組としてヒーローが新登場する「ウルトラマン」の放映が決まり、66年7月にスタート。さらなる人気を得て頂点に達した怪獣ブームは社会現象となる。東宝の「ゴジラ」シリーズ、大映の「ガメラ」シリーズのほか、67年春には松竹で「宇宙大怪獣ギララ」、日活でも「大巨獣ガッパ」が製作・公開されたのだった。TBSではTBS、東映東京制作所制作の「キャプテンウルトラ」を間に挟んで、同年秋にSF色の濃い「ウルトラセブン」がスタートしている。