【プロレスこの一年 #24】馬場と猪木の引き抜き合戦 ハンセンの電撃移籍、初代タイガー鮮烈デビュー 81年のプロレス

プロレス界年末の風物詩といえば、全日本の「世界最強タッグ決定リーグ戦」。いまでは大みそかでも当たり前のようにおこなわれているプロレス興行だが、かつては“最強タッグの決定”によってその年の全スケジュールが終了、年始までのオフが通例だった。本稿掲載は12月12日で、翌日の13日はいまから39年前、新日本の看板外国人スターだったスタン・ハンセンが全日本の「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦に突如として姿を現わし全日参戦を猛アピールした日でもある。あのハンセンがブルーザー・ブロディのセコンドとして現われ、テリー・ファンクに場外でウエスタン・ラリアットを見舞ったのだ。ある一定の年代以上のプロレスファンなら忘れられない、衝撃のシーン&名場面である。

新日本の看板外国人だったスタン・ハンセンが全日本に電撃移籍(写真は1983年)【写真:平工 幸雄】
新日本の看板外国人だったスタン・ハンセンが全日本に電撃移籍(写真は1983年)【写真:平工 幸雄】

新日本と全日本による外国人レスラーの引き抜き合戦が勃発

 プロレス界年末の風物詩といえば、全日本の「世界最強タッグ決定リーグ戦」。いまでは大みそかでも当たり前のようにおこなわれているプロレス興行だが、かつては“最強タッグの決定”によってその年の全スケジュールが終了、年始までのオフが通例だった。本稿掲載は12月12日で、翌日の13日はいまから39年前、新日本の看板外国人スターだったスタン・ハンセンが全日本の「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦に突如として姿を現わし全日参戦を猛アピールした日でもある。あのハンセンがブルーザー・ブロディのセコンドとして現われ、テリー・ファンクに場外でウエスタン・ラリアットを見舞ったのだ。ある一定の年代以上のプロレスファンなら忘れられない、衝撃のシーン&名場面である。

 蔵前国技館で行われた最強タッグ最終戦。メインはテリー&ドリー・ファンクJr組VSブロディ&ジミー・スヌーカ組で、勝った方が優勝というシチュエーションだった。この試合でブロディ組に着いたのが、テンガロンハット姿のハンセンだった。ハンセンは友人ブロディの入場時から姿を見せ、場内は騒然。数日前まで新日本のシリーズに参戦していただけに無理もない。ハンセンはそのままリング下に陣取り、場外戦になるとレフェリーの死角を突いてテリーにラリアット一閃! これを機に、リング上ではブロディがドリーにキングコング・ニードロップを決め最強タッグ制覇を果たしてみせたのである。試合後、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田が駆けつけハンセンらと乱闘。バックステージで馬場は翌年1月からのハンセン参戦を明言した。これは、この年勃発した新日本と全日本による外国人レスラー引き抜き合戦のクライマックスとも呼べるものだった。仕掛けたのは、アントニオ猪木の新日本だ。

 この年のプロレス界は、馬場の「3000試合突破記念試合」で幕を開けた。1・18後楽園での第1弾では、PWFヘビー級王者の馬場がAWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアとダブルタイトル戦を敢行。試合は両者リングアウトで馬場、ガニアともベルトを守った。第2弾は1週間後の後楽園。こんどは馬場がハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。試合は馬場が勝利するも、反則裁定により馬場の世界最高峰返り咲きはならなかった。

 一方、馬場・全日本に対抗する新日本では猪木と新間寿営業本部長によるIWGP構想が具現化。4月1日に「IWGP発足記念パーティー」が開催され、概要を発表した。4・23蔵前では猪木がハンセンを退けNWFヘビー級王座を防衛するとともに、IWGP開催決定により返上。退路を断ち、世界統一の大野望に向けて動き出したのだ。また、この日はプロレス界に大革命が起こったことでも記憶されている。猪木VSハンセン前のセミファイナルでタイガーマスクがダイナマイト・キッドを相手にデビュー。劇画の世界から飛び出した覆面レスラーが、見たこともないムーブの連続により、プロレス界に大ブームを巻き起こしたのである。

 鮮烈な印象を残したタイガーは、5月7日の会見で正式始動。翌8日からスタートする「第4回MSGシリーズ」の序盤5大会に特別出場することが明らかになった。そしてこの日、大事件が発生する。全日本のエース外国人レスラー、アブドーラ・ザ・ブッチャーがIWGP参戦を表明し、会場の川崎市体育館に姿を現わしたのだ。これこそが、外国人レスラー引き抜き合戦の号砲でもあった。

 MSGシリーズでは5・10後楽園でハンセンとハルク・ホーガンが初対戦。このときはまだまだホーガンはグリーンボーイ。リングアウトでハンセンに敗れたものの、ハンセンの引き抜きや、ホーガンのその後のブレイクを考えれば非常に貴重な一騎打ちだった。最後のMSGシリーズ優勝は、ハンセンを破った猪木である。決勝の6・4蔵前では、タイガーマスクがメキシコ遠征をへて帰国、藤波辰巳とのタッグでマイク・マスターズ&クリス・アダムス組を破った。タイガーは前日の愛知県体育館で日本長期滞在を宣言。6・24蔵前ではビジャノIIIを破り、同大会ではアマレス王者の谷津嘉章が日本第1戦。猪木とのタッグでハンセン&ブッチャー組に挑むも、プロレスの洗礼を浴び惨敗を喫した。また、この時期には全日本からタイガー戸口が移籍している。

 すると、全日本も報復手段に出た。トップヒールのタイガー・ジェット・シンが7・3越谷に乱入、翌日から正式に全日本のリングに上がったのである。5月にブッチャーを引き抜かれたあと海外修行中の天龍源一郎を凱旋させ戦力を補おうとした馬場だが、まさかライバル団体のトップヒールを奪い返すとは……。

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