ダイナマイト・キッドさん一周忌 初代タイガーマスクとプロレスを変えた男を振り返る
誕生日に突然の死 家族と親しいレスラーに見送られたキッド
13年2月には「最後の公の場」としてマンチェスターでおこなわれた自身のドキュメンタリー映画上映会に登場。ファンの写真撮影やサインには応じたが、映画は観ることなく、再婚した夫人ら新しい家族とともに会場をあとにした。そしてこれがアナウンス通り、本当に「最後の公の場」となってしまう。
筆者は18年7月、弟マークをマンチェスターに訪ねた。施設で生活しているということで、土産のみを預け、面会は控えさせてもらった。その後、12月4日にマークから連絡をもらっていたのだが、まさか翌日に訃報を聞くことになろうとは……。その日、誕生日を祝おうと施設を訪れたのはマークと娘のリア、この2人だった。
葬儀は12月18日、家族と親しい一部のレスラーのみでしめやかに営まれた。プロレス史に名を残す大物レスラーとしてはさみしいものだったが、衰えた姿を見られるのはキッド自身がもっとも嫌がることである。だからこそ、これはこれでよかったのだと思う。
当日、実の兄弟と一部レスラーによって「お別れの会」が開かれている。この会ではキッドとイギリス、カナダで同時代を過ごしたマーティ・ジョーンズが“10カウント”で追悼。そして、あれから一年が経過した――。
「正直、兄がいなくなったなんて、いまだに信じられません。写真は大丈夫なのですが、試合映像を観ることできないのが現状です」と弟マークは言う。マークはまた、遺灰が故郷ウイガンのラグビー場にまかれたことも教えてくれた。デビュー前のキッドは屋外練習の際、この場所で師匠テッド・ベトレーの指導を受けたのだ。
そのスピリットはいま、2人の甥に引き継がれようとしている。マークの長男トーマス(キッドの本名と同名)と次男マーク(キッドの弟と同名)の“ダイナミック・デュオ”の試合にはなるべく帯同し見守っている。
キッドは生前、病床から2人の甥に「がんばれよ」と声をかけた。将来、日本のリングで初代タイガーマスクに試合を観てもらうのが、彼らの夢だという。