ダイナマイト・キッドさん一周忌 初代タイガーマスクとプロレスを変えた男を振り返る

カナダ遠征前のダイナマイト・キッド【写真:Mark Billington】
カナダ遠征前のダイナマイト・キッド【写真:Mark Billington】

イギリスからカナダ そして日本へ

 本名トーマス・ビリントンは58年12月5日、イギリス・ランカシャー州に生まれた。ランカシャーレスリングで知られるとおり、故郷ではレスリングが盛んだった。スティーブ・ライトらを輩出した名伯楽テッド・ベトレーに師事し、16歳でデビュー。ジョイント・プロモーションで経験を積み、79年にはカナダのハート・ファミリーに見いだされカルガリーに渡った。

 スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリングで頭角を現わし人気レスラーになると、79年7月に国際プロレスへ初来日。80年1月には新日本プロレスに初登場を果たす。そして81年4月23日、タイガーマスクデビュー戦の相手に抜擢されたのだ。

 当時こそ“謎の覆面レスラー”だったタイガーだが、正体の彼にとってはイギリスからの凱旋試合でもあった。サミー・リーと名付けられ英国マットを席けん、タイガー・ブーム以前に佐山サトルは日本人の知らないところでサミー・ブームを作りだしていたのである。それだけにキッドとの試合はイギリスつながりと思われがちだが、実際はそうではない。

 佐山とキッドはイギリスで一度タッグを組んだのみで、対戦はかなわなかった。カナダにおけるキッドのスケジュールが過密だったため、すれ違いとなっていたのだ。よってこのマッチメークは、アントニオ猪木の閃きによるもの。当時のプロレス界では未知だった佐山の動きについてこれるのはキッドにおいてほかにない。猪木の読みと抜群のマッチメークセンスが、完全初対決の顔合わせを伝説にしたのである。

 また、キッドは猪木のアドバイスによりプロレスラーのアイデンティティーをリング内外で貫いた。ファンの前ではサインを求められると色紙を取り上げ破り捨てた。

 後年でもバックステージでは知らないレスラーの前で仏頂面を押し通した。タイガーマスクという絶対のスーパーヒーロー、それに敵対するダイナマイト・キッド像を創り上げたのだ。

次のページへ (3/5) 最大のライバル 初代タイガーマスク引退後のキッド
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