【ズバリ!近況】蟹江敬三の長男・蟹江一平独立! 父の死後、急にテレビに出始めた理由を明かす

蟹江一平さんは12月には下北沢のライブバー「BAR? CCO」で歌う【写真:山口比佐夫】
蟹江一平さんは12月には下北沢のライブバー「BAR? CCO」で歌う【写真:山口比佐夫】

父の死を境にバラエティに出始めた理由

 青年座養成所に入ってからは音楽を絶って、地道に役者をやっていました。2世俳優なのに2世カードを切ることがどうしても嫌で、拒んで。16年もの長い間売れなくて苦しかったけど、若かったから生意気だったんですよね。それに、職人気質の渋い父と違って僕はよくしゃべって軽薄に見られがちだから、父の存命中にこのキャラを解禁したら迷惑をかける、とも考えたんです。

誰もがアッと驚く夢のタッグ…キャプテン翼とアノ人気ゲームのコラボが実現

 なのに、父が亡くなったとたんテレビに出始めたのは、父が寡黙で自分のことを語らずに死んでしまったから。ファンの方や関係者のみなさんに、父のことを話そうと思ったんです。1年間だけポジティブキャンペーンとして。ところが、バラエティーに出たら止まらなくなりました。それまですごい暇だったのに、家に帰れないぐらい忙しくなっちゃって、しかも、ずっと夢だったMCやナレーションの仕事もできて。でも、いきなり出始めたもんだから、逆に反感を覚えた方もいて……「小出しにしていれば良かった」と後悔しました。

 父と役者として共演できなかったのも残念でしたね。69歳で亡くなるなんて、しかもがんと診断されてから3か月で逝ってしまうとは思わなくて……。そばで見ていても、父はやはりすごい役者でした。普段、家にいるときはソファで台本を見ながらずっとブツブツ言っていて、夜になると大好きなジャイアンツ戦のテレビ中継を観るのが楽しみなだけの人なのに、ドラマや映画ではすごい情熱を見せる。家での父と別人すぎて、同じ人だと思えないぐらいでした。

「恥をかきながら泥臭い下積みからやっていきたい」

 自分の天職を見つけた父を、1人の男としてすごく羨ましい。僕はまだまだ自分探しをしているようなもの。10代のときはできなかった曲作りを3年前から少しずつ始めて、ライブハウスに足を運ぶうち、僕もあちら側に立ってみたい、ずっと封印していた音楽にもう1回挑戦したいな、と思い始めてしまったんです。曲を地道に手作りし、周りの人たちと顔を合わせてディスカッションし、自分で営業もやって、小さなハコ(ライブ会場)から少しずつお客さんを増やして大きなハコにして……というプロセスに挑戦したい。

「44歳にもなって何をやっているんだ」と言われそうですけど、恥をかきながら泥臭い下積みからやっていきたい。人に何を言われてもいい。食える食えないも関係ない。新型コロナウイルス感染症で予定していたライブを中止にせざるを得なくなって出ばなをくじかれましたけど、今、スタジオで日がな1日曲を作って、1人でリハーサルしていると、自分でも不思議なぐらい情熱があふれて、すっごい幸せなんですよ。朝の4時ぐらいにバタンキューで寝るのに、8時ぐらいには起きてまたやって……クスリをやっているわけじゃないのにスーパートランス状態。創作意欲が止まらないんです(笑)!

次のページへ (3/5) ステージは“究極の1人芝居”の感覚だという
1 2 3 4 5
あなたの“気になる”を教えてください