稲川淳二独白、「1人でも感染者が出たら中止」怪談ツアー全国43か所を無事完走した理由

全国のファンに怪談と元気を届ける稲川淳二の夏の風物詩「MYSTERY NIGHT TOUR 2020 稲川淳二の怪談ナイト」は、過酷な条件下で約4か月をかけて全国43か所を巡り、11月7日に最終地である東京・秋川キララホールで無事千秋楽を迎えた。「1人でも感染者が出たらツアーは中止」という一瞬たりとも気を緩めることができない緊張の日々が続く中、いかにその難局を乗り越えたのか。舞台を終えた直後の稲川と彼を28年間支え続けるプロデューサーに話を聞いた。

稲川淳二、最終公演終えた直後の笑顔
稲川淳二、最終公演終えた直後の笑顔

“かつてないツアー”その舞台裏を稲川とプロデューサーが明かす

 全国のファンに怪談と元気を届ける稲川淳二の夏の風物詩「MYSTERY NIGHT TOUR 2020 稲川淳二の怪談ナイト」は、過酷な条件下で約4か月をかけて全国43か所を巡り、11月7日に最終地である東京・秋川キララホールで無事千秋楽を迎えた。「1人でも感染者が出たらツアーは中止」という一瞬たりとも気を緩めることができない緊張の日々が続く中、いかにその難局を乗り越えたのか。舞台を終えた直後の稲川と彼を28年間支え続けるプロデューサーに話を聞いた。(取材・文=福嶋剛)

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「これで終演後の取材を終わります。お疲れ様でした」

 楽屋で拍手が起こったその瞬間、緊張から解き放たれたプロデューサーが涙を流し、稲川と抱き合った。

 本来であればオリンピックが開かれていたであろう2020年。怪談ナイトも28年目を迎え、来るべき30周年に向けて、稲川はにぎやかな怪談話を手土産に全国約50か所を回ろうと計画していた。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大により、まったく先が見えない状況が続いた。27年積み上げてきたツアーをここでいったん止めるべきか、それとも……。

 記念すべき第1回「川崎ミステリーナイト」(1993年)から27年間、稲川とともに「怪談ナイト」の総指揮を務める“怪談ナイト・プロデューサー”本田一成氏は、その決断に迫られていた春先を振り返った。

「全国ツアーのスケジュールを発表する時期が迫り、今年はこのような状況なので『どうしますか?』と座長(稲川)に率直にお聞きしました。すると『私はやりたい』と。そこで、最初の何本かは中止になるかもしれないけれど、『絶対にやるという意思で前に進めていいですか?』と再度お聞きしたら『ぜひそうしてください』とおっしゃって。そこで全国のイベンターの皆さんと毎日のように連絡を取り合い、やれる方向、やれる方法を検討しました」

 本田氏は今年の開催を悩んだが、稲川の言葉に背中を押されたという。

「人生を逆算されるお歳になられているので、残りあと何本できるかと考えると、この1年を無駄にしちゃいけないと、私だけじゃなくスタッフ全員そう思っていました。こんな状況ですので全部中止になるかもしれないし、開催出来たとしても数本になるかもしない不安もありましたが、座長の決意に、どんなことがあっても『稲川淳二の怪談ナイト』だけは、みんなで気持ちを1つにしてやろうと決断しました」

 一方の稲川は、決断はしたものの不安は拭えなかった。

「正直、浮ついているとは言わないけれど、気持ちは不安定でしたね。あのとき、自分のせいでみんなに済まないなって思ったんですよ。良かれと思ってみんなやってくれて、それはうれしいし、こっちもキャンペーンやら何やら一緒に盛り上げるのは構わないんだけど、もし中止になったら、力を貸してくださった皆さんに何と申し上げたらいいのかと」

 そこで稲川が自身に課したのは、徹底した感染対策だった。

「私は、街歩きが楽しみなんだけど、今年は1度もしてないんです。特に3月から今まで仕事以外で家から出たのはたったの3回。それも向かいにある歯医者さんに行ったきりですから。食事はうちのマネジャーやスタッフがコンビニで買って来てくれて。またこのタイミングで家の外壁工事で外が見えなくてね(笑)。ブラインドを下ろしたままだったから、今年は桜を見れませんでした。地方に行っても食事はホテルの部屋でコンビニですから。

 でもね、それにも増して、そういう気持ちにさせてくれた皆さんがすごいなと思って。だってあれほど応援してくださって、力を貸してくださっているときにそんな甘い気持ちで失敗なんかしたらつまんないじゃないですか。そう思ったら辛くなかったですね。この先に楽しみなことがあると思うと生きられるんですよ」

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