「ママ、死んじゃうの?」38歳で余命宣告、何度も重ねた“優しいうそ” 「余命を楽しむ」発信のワケ
「薬がなければ、余命は1年」。8歳と5歳、2人の子を抱えワンオペ育児に励んでいた女性は、38歳のある日、突然乳がん「ステージ4」の診断を告げられた。すでに骨や肝臓、リンパ節にも転移があり、完治は断念、延命治療を選択した。それから6年……。「余命を楽しむ」を信条に、家族とのかけがえのない日々を過ごしている。愛知・名古屋市在住のことりん(@sweetbambi6363)さんに、揺れ動く今の胸の内を聞いた。

8歳と5歳、二人の子を育てていた38歳のある日、乳がん「ステージ4」と診断
「薬がなければ、余命は1年」。8歳と5歳、2人の子を抱えワンオペ育児に励んでいた女性は、38歳のある日、突然乳がん「ステージ4」の診断を告げられた。すでに骨や肝臓、リンパ節にも転移があり、完治は断念、延命治療を選択した。それから6年……。「余命を楽しむ」を信条に、家族とのかけがえのない日々を過ごしている。愛知・名古屋市在住のことりん(@sweetbambi6363)さんに、揺れ動く今の胸の内を聞いた。
夫は遠く関東で単身赴任。ワンオペで8歳と5歳の子を育てながら、自身もダブルワーク、トリプルワークと忙しい日々を送っていた。体の不調が表れたのは、上の子が小学校2年生に上がった2020年8月。長男に付き添って参加したバドミントンの最中、背中に激痛が走った。
最初に受診した整形外科では、レントゲンでも異常は見られず「肉離れ」と診断された。だが、いつまでたっても痛みは収まらず、日常生活もままならない。1か月後、別の病院を受診したところ、医師から「背骨が2か所、圧迫骨折していますね」と告げられた。
「やっぱり骨折してたんだ、道理で痛すぎると思った」
原因が分かり、そう安堵(あんど)したことを覚えている。だが、医師から神妙な面持ちで「30代の若さで背骨を圧迫骨折することは、通常あり得ません」と告げられ、束の間の安堵は胸騒ぎへと変わった。
大学病院での精密検査の結果、圧迫骨折の原因は、転移性の骨腫瘍の可能性が高いと分かった。だが、転移のもととなった原発がんが分からない。
脳裏をよぎったのが、思春期から感じていた右胸の違和感だ。
「胸がふくらみ始めた小学校5年生の頃、なんだか右胸だけ硬いな? と。しこりというより、胸全体が円盤のように硬い感じで。当時は自分の体のこともよく分かっていなかったし、乳がんの知識もなかったから、こんなものなのかなと。恥ずかしさもあって、親に伝えることもありませんでした」
それが乳がんの兆候だったのかは、今も分からない。ただ、月日が流れ、2人の息子を出産した後も、右胸だけは母乳の出が悪かった。マッサージを担当した助産師は「乳腺炎で硬くなっているのかな?」と口にしたが、乳がんを疑われることはなかった。
毎年の健康診断でも特に大きな異常は見られなかったが、いくつか思い当たる節があり、右胸の生検検査を希望。最初の受診から約3か月あまりが過ぎた11月、検査結果を聞くために、単身赴任中だった夫と連れ立ち、2人で病院を訪れた。
医師の第一声は「治りません。薬を飲まなければ1年もたない」というものだった。
乳がん、ステージ4、肝臓やリンパ節へも転移……。その場でさまざまな説明がなされたが「頭がついていかなかった」。告知が終わり、立ち上がろうとした瞬間、足がふらついて倒れこんだ。「診断からしばらくは、どうやって過ごしていたのか記憶がないんです」。現実を直視することができなかった。
「薬を飲めば、あと何年生きられるんですか?」
「そのうち新しい薬が開発されて、治ることもあるんじゃないですか?」
必死で希望を見出そうとしたが、返ってくるのは曖昧な答えばかり。治療方針の話がかみ合わず、業を煮やした主治医がついに口を開いた。
「10年生きることは奇跡です。そして、その奇跡は起こりません」
この言葉でようやく、夫婦は治療の目的が「完治」ではなく、「延命」なのだと理解した。わらにもすがる思いで受診したセカンドオピニオンでも、「余命は平均値で5~6年」と告げられた。

「ママ、死んじゃうの?」「あと何年生きられるの?」子どもに重ねた優しいうそ
「もうどうやっても生きられないんだなと。やっぱり、一番は残された子どもたちのことですよね。当時長男は小学2年生で、まだまだ甘えん坊なところもある。次男は5歳でアレルギーがあって、お弁当は誰が作ってあげるんだろうと」
子どもたちは、病気が発覚してすぐ、夫の口から事実を知った。まだ幼かった次男は事の重大さをよく分かっていなかったが、8歳の長男は「ママ、死んじゃうの?」「あと何年生きられるの?」と精神的に不安定になることも。その度に「今はお薬があるから大丈夫だよ」「きっとよくなるから」と、優しいうそを重ねた。
「私からは、病気についてきちんと話したことはまだないんです。そろそろ話しておかなきゃと思いつつ、なかなか言葉にできていません」
診断を機に、家族の形も変わった。夫は単身赴任を解消、それまで“女手ひとつ”だったワンオペ育児は、夫婦の協同体制となった。治療目的を完治ではなく延命としたことで、比較的副作用の軽い治療法を選択。徐々に気持ちの整理がついていくなかで、「余命を楽しむ」と題したSNS発信も始めた。
「余命5年と言われて、あと5年で何ができるんだろうと。もともと貯蓄が趣味で、仕事もダブルワーク、トリプルワークとやってきたので、貯金はあった。子どもたちの教育資金以外、自分の老後のためにとっておいたお金は全部使っちゃおうと。ミシュランのコース料理を食べに行ったり、家族旅行で奮発したり……。SNSでは『金があるなら子どもに残してやれ』とたたかれもしましたけど、おいしいものを食べている時、旅行している時は現実を忘れられる。残された時間を前向きに生きて何が悪いんだと」
今年7月からは、乳がんの早期発見につながればとの思いから、病気発覚までの経緯をストーリー形式で投稿。「私がガンで死ぬ(だけ)の物語です」「どうか、この物語が長く続いていくよう見守って下さい」と、少しずつ更新を続けている。
「病気になって初めて、当たり前だと思っていた日常が、どれほど幸せなものだったのかに気づきました。不安になる日もあります。治療や抗がん剤の副作用がつらく、思うように動けない日もあります。それでも、ずっとつらい時間が続くわけではありません。体調が落ち着いて、元気に過ごせる日もあります。
おいしいものを食べること、家族と笑い合うこと、旅行に行くこと。そんな幸せを一つひとつ大切にしながら、今できること、今楽しめることに目を向けていきたいと思っています」
余命5年の宣告から、この11月で6年目を迎える。余命は、数えるものではなく楽しむもの。数え切れない思い出の日々は、たくさんの笑顔で満たされている。
あなたの“気になる”を教えてください