ハガキ職人から漫画家の道へ 『イナイレ』やぶのてんや氏が明かす“2人の師”の存在「今でも思い出す」
『イナズマイレブン』や『デジモン』で知られる漫画家・やぶのてんや氏。そのキャリアをさかのぼると、意外な名前に行き着く。『桃太郎電鉄』シリーズや「ジャンプ放送局」で知られるさくまあきら氏、そして『BOY』の梅澤春人先生だ。ハガキ職人のような投稿活動から始まり、持ち込み、受賞、アシスタント時代を経てプロへ至るまで。やぶの先生の道程には、知られざる師弟関係があった。

“ハガキ職人”から漫画家の道へ
『イナズマイレブン』や『デジモン』で知られる漫画家・やぶのてんや氏。そのキャリアをさかのぼると、意外な名前に行き着く。『桃太郎電鉄』シリーズや「ジャンプ放送局」で知られるさくまあきら氏、そして『BOY』の梅澤春人先生だ。ハガキ職人のような投稿活動から始まり、持ち込み、受賞、アシスタント時代を経てプロへ至るまで。やぶの先生の道程には、知られざる師弟関係があった。(取材・文=関口大起)
幼い頃から絵を描くことに親しみ、自然と漫画を描くようになっていったやぶの先生。中学、高校生時代は、「週刊少年マガジン」(講談社)の読者投稿ページに熱中していたという。
「いわゆる大喜利コーナーのようなものではなくて、テーマ自由の読者ページでした。1コマ漫画であったり、4コマ漫画であったり、ネタっぽいものだったり。シャーペンやファイルといった景品もありましたが、当時学生だった私にとって大きかったのは賞金でしたね」
その漫画投稿の延長線上で、さくま氏との接点が生まれる。さくま氏といえば、「週刊少年ジャンプ」(集英社)の読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」の構成や、ゲーム『桃太郎電鉄』シリーズの監督・監修で知られるクリエイターだ。同氏は当時、新人漫画家を育成する雑誌「マンガハウス」を発行していた。やぶの先生は、そのマンガハウス主催の漫画の持ち込みイベントに参加する。
「今で言う、出張編集部みたいなものですね。ただ、当時私の作っていた漫画はとても本に載せられるようなレベルではなかったので、その場で『マンガハウス』の作家に……という話にはなりませんでした。ただ、勉強する機会はいただいて、事務所に出入りさせてもらえるようになったのです」
以降、高校から大学卒業ごろまで、5~6年ほどその環境に身を置き、漫画のノウハウを吸収していったという。
「今でも、作業中にふとさくまさんの教えを思い出すことがあります。漫画家デビューのための指導ではなく、作家になってからも生きる教えだったのだと思います。こうして取材に答えながらだと、具体的な話がパッと出てこなくて申し訳ないのですが(笑)」
手塚賞と赤塚賞、驚異のW受賞
やぶの先生はさくま氏のもとで漫画作りを学びながら、「週刊少年ジャンプ」の月例賞に応募し、担当編集がつくまでになった。そして、「週刊少年ジャンプ」および「ジャンプSQ.(現在)」が主催する、ストーリー漫画賞の名門・手塚賞の応募を目指し作品作りに励んでいった。
「たしか大学3年の秋だったかと思います。『情熱のクリッパー』という作品で手塚賞で準入選しました。そのため大学卒業後も就職はせず、アシスタントに入りました」
複数の先生のもとでアシスタントを務めたが、もっとも長期で入ったのが『BOY』などで知られる梅澤先生の仕事場だったという。
「梅澤先生の現場は週に3日くらい、しっかりお休みがあり、自分の作品も作っていくうえでとてもいい環境でしたね。また、先生によってアシスタントへの依頼スタイルはさまざまなのですが、梅澤先生は一人にページ単位で背景を任せる方針だったので、大変でありつつ勉強にもなりました」
人気作家のもとで、さらなる学びを得ながら、先生は自身の作品作りも欠かさなかった。しかし、あるときストーリー漫画に対する行き詰まりを感じるようになっていく。そこでコメディー作へと舵を切るのだが、なんと、その後描いた『もののけタンタ』で赤塚賞 佳作を受賞する。手塚賞と赤塚賞の2冠。驚くべき話だ。
ストーリーとコメディーの両面で結果を出したことが、やぶの先生のキャリアを次の段階へ押し進める決定打になった。その才能と功績を編集者が見逃すわけもなく、翌年には『うるとら☆イレブン』(原作:渡辺達也)の作画担当として「週刊少年ジャンプ」でデビューを果たす。そして、その先で『デジモン』シリーズ、『イナズマイレブン』シリーズといった大ヒット作を生み出すこととなる。
○新刊情報
10月28日
『イナズマイレブンGO』完全版上巻
『イナズマイレブン 英雄たちのヴィクトリーロード』2巻
11月28日ごろ
『イナズマイレブンGO』完全版下巻
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