ゲームの枠を超え、「人との遊び」の極意に触れる傑作 『Big Walk』が提供する“崇高な体験
人とゲームを遊ぶときに、我々は何を求めているのだろうか。点数を競い合い、磨いた技や腕を見せ合って、勝った負けたで一喜一憂するのは楽しい。また、与えられた目標に対して、ああでもないこうでもないと話し合って、みんなで正解に辿り着く過程も面白い。

人と人が交わることの意義を問い直すような作品に
人とゲームを遊ぶときに、我々は何を求めているのだろうか。
点数を競い合い、磨いた技や腕を見せ合って、勝った負けたで一喜一憂するのは楽しい。また、与えられた目標に対して、ああでもないこうでもないと話し合って、みんなで正解に辿り着く過程も面白い。
そのなかで我々は多くの事象を見出す。目立とうとする人、利他的な行いを楽しむ人、すぐに飽きる人、最後まで粘る人、上手い人、下手な人、批評をする人、感動する人……。ゲームを通じて、我々は他者を知る。あるいは、他者から見られている自分を知る。一定の作業をこなし、用意された問いを解くことによって、我々は真にお互いを知ることができるのだ。
本稿で紹介する『Big Walk』(PlayStation 5 / Nintendo Switch / PC)は、マルチプレイゲームの真髄そのものであり、複数人が同時に楽しめるエンタメすべてが考えるべき“人との遊び”の極意に触れている作品だ。あるいはゲームという枠組みを超えて、これから先の社会において人と人が交わることの意義を問い直してくれているといってもいいかもしれない。
根本的に、ゲームとは“ゲーム的世界”さえあれば成り立つ遊びである。
たとえば『スーパーマリオ』シリーズにおける「ちくわブロック」は、乗ると落ちる。そもそも空に浮いている意味が分からないし、落ちるのも謎だ。ただ単にそういう仕掛けなのであり、現実世界の事象とは何の関わり合いもない。そういう遊びがあると面白いから、ちくわブロックは乗ると落ちるのだ。
『Big Walk』の世界もそれと同じで、ただひたすらに「遊び」だけがある。プレイヤーは正体不明の鳥人間みたいな存在を操作することになる。2~12人のマルチプレイヤーゲームであり、何人で遊んでも成立するし、ゲームの上手い下手は問わない。昨今稀に見るほど参入ハードルの低いゲームだ。まずチュートリアルエリアに投げ出され、そこでは簡単な操作を教わるものの、何かを助けろとか、復讐しろとか、そういった野暮なことは一切語られない。道だけがある。

『Big Walk』の世界は山なりだ。オーストラリアのとある地域を基にしているらしく、ビジュアルこそリアル寄りだが、何かを模しているわけではなく、常に好きなところに行くことができる。完全な意味でのオープンワールドだ。ナレーションやテキストで誘導されることもなく、道と景色とオブジェクトの配置によって、プレイヤーがあちこちを探索したくなるよう設計されている。
ゲーム業界において、土地や地形をデザインし、プレイヤーをそれとなく導くことを「レベルデザイン」と呼ぶ(定義があいまいな言葉だが、そういう解釈がメジャーだと捉えてほしい)。本作にはレベルデザインしか存在しない。歩いていると「あれって何だろう?」と隣の人に声をかけたくなるような、明らかに異質な原色のオブジェクトが置かれている。

プレイヤーはそこでパズルを解くことになる。このゲームの肉となる部分だが、パズルはどれも簡単だ。ある部屋で得た情報を隣の部屋に伝達する。目の見えないプレイヤーを口で誘導する。誰かがボタンを押しているあいだだけ遠く離れたところで箱が開く。そんな感じである。
だが、大事なのは本作が「近接ボイスチャット」を採用しているという点だ。これは外部のアプリなどを使うのではなく、ゲーム内で制御されているボイスチャットを利用する仕組みである。離れれば離れるほど声が聞こえなくなり、そのうちまったく届かなくなるといったものだ。

その結果、情報の伝達は難しくなり、簡単なパズルすらわざわざ手間をかけて、事前に解き方を決めておかないと解けなくなる。基本的にプレイヤーはこのパズルを解き、ひょうたん型のアイテムを手に入れて、それを特定の場所に収めるというゲームプレイを繰り返すことになる。その道中でいろいろなものを目にするが、パズルを解いてアイテムを納品していればちゃんとエンディングまで辿り着けるようになっているので、心配は要らない。

本作は、この“協力”という概念に真正面から向き合っている。“協力”という題名の絵画みたいな作品だ。解き方は常に自由。ジェスチャー、声の抑揚、身内ノリの変な暗号、正攻法、キャラの動き、何度もアタック、どれでもいい。事前にしっかり取り決めを作っても、ぶっつけ本番でなんとなく息が合っても、すべて正解である。
そのうち、このゲームはパズルを通してそのパーティー内にしかない「空気」を作っていることに気づいてくる。これはたとえば部活でスポーツをやったり、サークルで同じものを作ったり、お祭りの準備をしたり、誕生会を企画したりといった際に“そこでしか伝わらない何か”が醸成されることがあるが、あの感じに近い。とはいえ、これ自体は別にマルチプレイゲームをハードにやる人なら日夜感じていることだろう。特に珍しいことではない。

このゲームが本領を発揮するのは、エンディング間近、ある程度の目標がクリアできて、いよいよラストダンジョンへ挑もうというときだ。詳しくはネタバレになるから避けるが、その空気を醸成するために、かなりの時間を割いた人たちでしか味わえない体験が待ち構えている。
言うなれば、大変な登山を経験した一行が山頂で見るご来光のような、とんでもないご褒美である。それと同時に「これは今の俺たちにしかできねえことだな……!」と鼻息荒く意気込めるほどのシビアなチャレンジでもある。
そして本作は、マルチプレイゲームでしか描けない映像芸術でもある。同じパズルを解いてきたというゲーム体験を通じなければ、この神秘的な経験を味わうことはできないのだ。

ビデオゲームは多くのものを描いてきた。音楽にもなり、映画にもなり、アートにもなり、現実にも侵食した。映像の解像度は上がり、世界中の人々が熱狂し、ときに事件にすらなる。
そんななかで『Big Walk』は物珍しいことはしていない。むしろ原始的なほどに着飾っておらず、徹底して無口で、土地とパズルだけがあるゲームだ。それなのに、筆者はまったく予期していなかった感動に包まれた。エンディングに至る頃には「まだ人と人は真に分かり合えるんじゃないか?」というような、夢見る子どもみたいな感情にさえなっていた。

しかも、この体験にゲームプレイ上の習熟がまったく関係ないというところが驚きだ。
eスポーツタイトルで味わう着実な上達や、難しいアクションゲームをクリアした際の達成感は確かに何物にも代えがたいものがある。それらを否定するつもりはない。だが『Big Walk』は、シビアなことは何も要求しない。友達のためにボタンを押しているだけでもいい。それすら疲れたら見ているだけでもいい。このゲームは冒険心をくすぐるデザインをしていながらも、同時にチルな空気もまとっているのがいいところだ。

そんな、その場にいるだけというなんとも緩くて小さい連帯の果てに、しっかりとみんなでゲームをクリアしたという大きな達成感と、他のどんなエンタメやアートでもあまり見たことないような崇高な体験が待っているのが驚きである。ゲームに疲れた、飽きてきたという人にこそやってほしい作品だ。なぜなら、そんなあなたこそ、この島には見るべきものがあるからだ。
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