【プロレスこの一年 ♯18】崖っぷちアイドル愛川ゆず季の衝撃プロレスデビュー、杉浦貴がNOAHをけん引 2010年のプロレス

本稿掲載の10月31日は、今からちょうど10年前、グラビアアイドルの愛川ゆず季がプロレスデビューを果たした日でもある。崖っぷちアイドルと言われていた愛川、通称“ゆずポン”がタレント生命をを懸け一念発起。ゆずポンキックを武器に衝撃のプロレスデビューを飾ったのである。

愛川ゆず季のデモンストレーション「ゆずポン祭 ~予告編~」(2010年10月8日)【写真:平工 幸雄】
愛川ゆず季のデモンストレーション「ゆずポン祭 ~予告編~」(2010年10月8日)【写真:平工 幸雄】

2010年(平成22年) ゆずポンキックを武器に愛川ゆず季がプロレスデビュー

 本稿掲載の10月31日は、今からちょうど10年前、グラビアアイドルの愛川ゆず季がプロレスデビューを果たした日でもある。崖っぷちアイドルと言われていた愛川、通称“ゆずポン”がタレント生命をを懸け一念発起。ゆずポンキックを武器に衝撃のプロレスデビューを飾ったのである。

 当初は、そのネーミングからしてもギャグ的扱いだったゆずポンキック、DDTの高木三四郎が彼女のデビュー前から“オマージュ使用”していたのだが、いざふたを開けてみるとキックの威力、スピードとも芸能人のプロレス体験レベルをはるかに超えていた。このゆずポンキックを一騎打ちで体感したのは全日本女子出身で女子プロトップの高橋奈苗(現・奈七永)だ。顔面をボコボコにされ試合には敗れたゆずポンだが、数々の修羅場をくぐり抜けてきた奈苗をして「オマエ、これがデビュー戦か!?」と言わしめた実力とプロレスセンスはホンモノ。奈苗の発言がリップサービスでないことは明らかだった。この衝撃は翌年、ゆずポンをトップとする新団体スターダムの旗揚げへとつながり、低迷する女子プロ界に一石を投じることとなる。では、ゆずポンがプロレスのリングに上がった2010年(平成22年)とは、プロレス界にとっていったいどんな年だったのか。

 ゆずポンのプロレスデビューには「ゆずポン祭」という大会名がつけられていた。これは、のちにスターダムのGMとなる風香が現役時代に開催していた自主興行「風香祭」の流れをくむもの。すなわち、ゆずポンのプロレスがすべての大会だったのだ。そのきっかけともなった風香は10年3月28日の「風香祭りFINAL」で現役を退いた。相手は、くしくもゆずポンと同じ奈苗だ。

 この年の女子プロレスはゆずポンが新しい時代の到来を期待させる傍ら、全女、「GAEA JAPAN」の解散で核を失っていた女子プロ界で奮闘していたNEOが解散、時代の変遷を感じさせる一年でもあった。NEOは旗揚げ10周年となる5・5後楽園ホールでトップの井上京子が突然の退団をリング上からアナウンス。さらには年内をもっての団体解散と、田村欣子、宮崎有妃、タニー・マウスの引退が発表され、現実に12・31後楽園でその活動に幕を閉じた。また、女子プロ界ではGAMI&桜花由美を中心とするWAVEが団体創設以来はじめてとなる聖地・後楽園大会を10月3日に開催。女子団体ながら、この大会にはアブドーラ・ザ・ブッチャーがまさかの参戦を実現させている。

 3月26日には、元WWEのTAJIRIがプロデュースする男女混合団体SMASHが新宿FACEで旗揚げ。世界を見てきたTAJIRIはその経験を生かし、未来日の外国人レスラーをビッグネームに交えながら多数招聘(しょうへい)。無名レスラーを徹底したイメージ戦略で“まだ見ぬ強豪”に変換してみせた。プロレス未開の地フィンランドからやってきたFCF総帥スターバックはその典型と言えるだろう。また、TAJIRIは男女混合における女子プロのポジションを格段にアップさせた。朱里VS華名(現アスカ=WWE)のシングルマッチを「たとえ東京ドームでもメインに組む」と豪語。6・25&7・24の2連戦(ともに新宿)で、女子プロを見ないファンや関係者に大きくアピールしたのである。SMASHはこの年の11月22日、旗揚げ10戦目にして初のビッグマッチをTDCホールにて開催。ある意味、この年もっとも勢いを感じさせたのが、TAJIRIプロデュースによるSMASHだった。

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