91歳で死去した美輪明宏さんの生涯 文豪を魅了した妖艶演技、77歳で初出場の紅白『ヨイトマケの唄』で視聴者圧倒
歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名・丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが今月20日、老衰のため死去したことを28日、所属事務所が公式サイトで発表した。美輪さんは91歳だった。葬儀は近親者のみで営まれたという。美輪さんは芸能界、文化界で独特の存在感を放ち続けた。戦前から令和まで駆け抜けた美輪さんの足跡を振り返る。

スピリチュアルな知見などで若い世代からも「美輪さま」
歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名・丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが今月20日、老衰のため死去したことを28日、所属事務所が公式サイトで発表した。美輪さんは91歳だった。葬儀は近親者のみで営まれたという。美輪さんは芸能界、文化界で独特の存在感を放ち続けた。戦前から令和まで駆け抜けた美輪さんの足跡を振り返る。
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美輪さんは1935年5月15日、長崎市生まれ。10歳の時に故郷で原子爆弾の投下を経験した。音楽の道を志して上京後、52年にシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」を拠点にプロ歌手としてのキャリアをスタートした。
当時は中性的なファッションや生き方が理解されにくい時代だったが、美輪さんは自身の美学を貫き「シスターボーイ」として注目され始めた。57年にはフランスのシャンソン曲『メケ・メケ』を日本語でカバーして大ヒット。瞬く間にスターダムへと駆け上がった。その才能は音楽に留まらず、三島由紀夫氏や寺山修司氏といった昭和を代表する文豪・表現者たちを魅了。三島氏が絶賛した舞台『黒蜥蜴』や、寺山氏が率いる演劇実験室・天井桟敷の『毛皮のマリー』で見せた妖艶な芝居は、日本の演劇史に深く刻まれている。
65年には自ら作詞・作曲の『ヨイトマケの唄』をリリース。肉体労働で子どもを育てる母親への賛歌であり、人間の尊厳を描いた同曲は、社会へ強烈な一石を投じた。一方で、歌詞にある「土方(どかた)」が、差別用語にあたるとして民放各局で放送自粛(放送禁止歌)の扱いを受け、長らくテレビなどでフルコーラス歌うことは困難だった。
だが、デビュー60周年を迎えた2012年に『NHK紅白歌合戦』に初出場した際は、この歌詞を含んだまま約6分間かけて歌い上げた。暗転したステージにスポットライトだけが当たる中、装飾を一切排除し、髪を黒く結い上げてのパフォーマンス。当時77歳だったことも踏まえ、その姿は視聴者に強烈な衝撃を与えた。
以降も歌声は衰えず、紅白のステージに立ち続けた。14年にはNHK連続テレビ小説『花子とアン』のナレーションを務めた縁から、劇中歌としても印象的だった『愛の讃歌』を披露。80歳の15年には再び、『ヨイトマケの唄』を披露。歴代ソロ歌手の最高齢出場記録を更新したことも大きな話題を呼んだ。
00年代以降は、スピリチュアルな知見や人生の酸いも甘いも経験した深い言葉で、若い世代からも「美輪さま」として支持を集めた。近年も体調と向き合いながら、ラジオや執筆、開運のアドバイスなどを続けていた。
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