「なんでまた私なの?」安西ひろこ、突発性難聴を公表した理由 絶望のどん底から救ってくれた“運命の出会い”

モデル・タレントの安西ひろこは、昨年12月29日に左耳の突発性難聴を公表した。「私の世界が変わってしまいました」。“ギャルのカリスマ”として一世を風靡(ふうび)した彼女の決意の告白。発症から約半年が経とうとしている今、公表までの経緯や世間に伝えたいことを初めて明かす。

インタビューに応じた安西ひろこ
インタビューに応じた安西ひろこ

【独白】突然、左耳が聞こえず襲われた不安

 モデル・タレントの安西ひろこは、昨年12月29日に左耳の突発性難聴を公表した。「私の世界が変わってしまいました」。“ギャルのカリスマ”として一世を風靡(ふうび)した彼女の決意の告白。発症から約半年が経とうとしている今、公表までの経緯や世間に伝えたいことを初めて明かす。(取材・文=小田智史)

「インタビューは久しぶりです。よろしくお願い致します!」

 取材場所に姿を現した安西は、笑顔だった。聞けば、昨年12月29日に「『突発性難聴』と診断されました」とインスタグラムで公表してから、症状について語るのは初めてだという。

 異変を感じたのは昨年12月の初めのこと。朝目覚めると左耳が聞こえず、不安に襲われた。

「(片耳が)聞こえづらい、聞こえないだけならまだいいんですけど、暖房の音とか、外の音が(逆の耳に)倍になって聞こえるので、身体がいつも以上に疲れてしまって。『もう本当にこのままなのかな』という気持ちが先行しました」

 すぐさま病院に行くことを勧められたが、「寝たら治るかな」と自宅にこもってしまった。

「『疲れているのかな』と思ってしまい、4~5日間、病院に行かなかったんです。寝ても治らず、家の近くの病院に行きました。『突発性難聴』だと診断されて、治療をしていない段階で『5日経っているなら治らない』と言われて号泣でした。もう動けなくなってしまって。電話をした友達は『迎えに行こうか?』と心配するくらいの状態でした」

 ショックも大きく、腰が重かった安西だが、症状や病院を懸命に調べてくれる周囲の姿を見て、耳が聞こえない現実と向き合う覚悟が決まったという。

「そこから大学病院とかいろいろ回りました。次に行ったのは名医がいらっしゃる病院。そこでステロイド治療が始まりました。点滴を入れて、飲み薬も最大限に強いステロイドを使うので、身体が小さい私はもうフラフラになってしまって、歩いては座り、歩いては座りの状態。今の事務所に移籍したばかりで、やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんあったので、動きたくても自分の身体が動かなくて、すごく落ち込みました。結局、ステロイド治療を1週間続けたけど、聴力は戻らなくて……。ステロイド治療が効かないと言われました。どの病院でも、『突発性難聴には理由がない』と。突発性難聴になった人はみんな、理由を教えてほしいと思っているはずです」

背中を押してくれた先天性難聴の店員の存在

 突発性難聴の診断から、自身のインスタグラムで公表するまで約1か月。「正直、言わないようにしたいなと思っていました」。2001年にパニック障害と診断され、20代前半から30代半ばまでの13年間にも及ぶ闘病生活を送った経験を持つだけに、「なんでまた私なの?」との思いと戦う日々だった。

「パニック障害の時も、『言わないようにしたい』という気持ちが半分以上ありました。当時は、まだパニック障害が世の中に認知されていない時期。22歳で休業せざるをえなくなってしまいました。今回、突発性難聴になって、『また神様が私を選んだんだな』と。しかもステロイド治療が効かない5%の中に入ってしまった。最初は『別に公表しなくてもいいんじゃないか』と思いました。私もやっぱり人間なので、『知られたくない』『言いたくない』という気持ちが強かったです」

 枯れるほど泣き、「この耳ではもう仕事を続けるのは無理かもしれない」と途方に暮れる日々。その中で、日常生活でのある出会いが安西を勇気づけ、症状の公表へと向かわせる。

「左耳が聞こえづらくなってから、生まれつき片耳が聞こえない方とお会いしました。いつも行く飲食店の店員さんでした。私が難聴で、『ごめんね。こっちの耳で聞きたいから、メニューもこっちで聞いていい?』と言ったら、『僕もこっちの耳が生まれつき聞こえないので分かります』と話してくれて。一番何が不安だったかと言うと、周りに突発性難聴の人がいなくて、『私だけかも』という状況。だから、『きっと安西さんが公表してくれたら、絶対にみんな勇気をもらえると思います』と言われて、3日くらい考えました。発表しようと思ったきっかけはその方です。こんなに(同じ疾患で)苦しんでる人がいるっていう事実が分かってしまうと、名前のある人たちが公表していかないと、世の中が変わっていかないかなという、強く固い思いがありました。あそこで背中を押してもらえて良かったなと思います」

 突発性難聴の公表は、本人の想像をはるかに超えて大きく報じられることになった。「実は、事務所に何も言わず勝手に発表してしまったので」と苦笑いしながら明かす。

「こんなにお騒ぎになると思わなくて、『どうしよう!』と慌てました。(事務所の)社長に『発表してこんなにニュースになってしまってごめんなさい』とお伝えしたら、『名前がある人が立ち上がるのはいいことなので、逆にありがとうございます』と言ってくださって、『ありがとうございます! お転婆ですみません』って感じでした。逆に、友達の方が『勝手に発表しちゃって大丈夫?』と心配していました」

周囲から届いた「私もなんです」の言葉

 公表から約5か月。現在も聴力は戻っておらず、健常な右耳側からの声ははっきり聞こえる一方で、対面からの声は分散して聞こえるという。それでも、「両耳が聞こえなくなってはいないし、私には右耳がある」と前を向く。

「平衡感覚がなくなってめまいもあるし、外の音が怖くて、2週間くらいは家から出ない時期がありましたけど、そこからは頑張って外に出るようになりました。今でも、耳はつらい時はあります。この数か月、友達の大切さに改めて気づきました。メモに残しているんですけど、『ひろこは耳の病気になったけど、心まで病気にならないでね』、『片耳が聞こえない分、人の心がよく聞こえてくるでしょう。神様は何かを奪えば何かを与えてくれるから、何かを与えられてるよ』と毎日LINEしてくれて、うれし涙を何度流したことか。つらくなった時は、必ず見ます」

 安西の元には、同じ悩みを抱えるファンから多くのメッセージが寄せられたという。そして、世間だけにとどまらず、芸能界からも反響はあった。

「私が難聴を発表したら、『私もなんです』とコメントがたくさん来て、『こんなに世の中にいるんだ』と正直びっくりしました。『ひろこちゃんと一緒なら頑張れる』といった言葉をもらって、私が今回難聴になったのは必然だったんだなと思いました。とあるタレントも久しぶりに会った時に、『誰にも言っていなかったけど、10代の時に左耳が突発性難聴になって、あの時はすごく後悔したけど、左耳が聞こえなくても生活はできるよ』と言ってくれて。私もそのぐらい大きい人間になりたいな感じました」

 人気絶頂だった2001年にパニック障害を発症し、13年間に及ぶ闘病生活を乗り越え、芸能界に復帰した経験があったからこそ、突発性難聴というつらい現実も受け止めることができたと話す。

「私、毎日のルーティーンがあって、朝起きると最初にシャワーを浴びて、次に絶対トイレ掃除をします。それから神棚に『五体満足で、笑顔でいられることに心から感謝いたします』と言います。突発性難聴にはなりましたけど、聞こえない、聞こえないとばかり言っていると、そっちに引っ張られてしまう。“まだ耳で良かった”くらいの気持ちです。それまでつらい経験がなく、この年齢でドスンと現実を突きつけられたら厳しかったかもしれません。25年前、カウンセラーの方から『あと20年以上経ったら、パニック障害が流行り病のようになっているだろうから、その時ひろこちゃんは何ができるかちゃんと考えようね』と言われたのが頭に残っています。ただ、今がすごく楽しいので、いい意味で昔のことは思い出さなくなりました」

 安西ははっきりと、「20代、30代より今の方が全然楽しいです」と言い切る。

「20代、30代はパニック障害もあったんですけど、何かに怯える、何かに追われる日々でした。占い師さんに占ってもらった時、『安西さんの人生は48歳からですからね』と言われて、今年47歳。自分の運気はどんどん良くなっているので、その占い結果はまんざらうそでもないと思っています(笑)」

 強さとたくましさを増した安西は、自らの次なる目標に向かって歩み始めている。

□安西ひろこ(あんざい・ひろこ)1979年2月9日、神奈川県出身。1996年にグラビアデビューし、平成ギャルを代表するカリスマ的ファッションリーダーとして人気を集めた。現在はモデル・タレントとして活動しながら、ライフスタイルを通して「自分らしく楽しむこと」の魅力を発信し、多くの女性に支持されている。

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