【センダイガールズ】決まっていた結婚も取りやめ…強さの象徴・橋本千紘が紆余曲折を経てプロレスラーになるまで
女子プロレス界広しといえども、ここまでジェンダーレスな戦いに挑んでいる選手はいないだろう。3月師匠・里村明衣子を破り、センダイガールズワールド王座6度目の戴冠を果たした橋本千紘は、鈴木みのる、青木真也、そしてKONOSUKE TAKESHITA(竹下幸之介)といった錚々たる面々と鎬を削ってきた。今年デビュー10周年を迎える橋本に、今の橋本千紘ができるまでを振り返ってもらった。

里村明衣子を追いかけてセンジョの門を叩くも…運命を変えた新崎人生の助言
女子プロレス界広しといえども、ここまでジェンダーレスな戦いに挑んでいる選手はいないだろう。3月師匠・里村明衣子を破り、センダイガールズワールド王座6度目の戴冠を果たした橋本千紘は、鈴木みのる、青木真也、そしてKONOSUKE TAKESHITA(竹下幸之介)といった錚々たる面々と鎬を削ってきた。今年デビュー10周年を迎える橋本に、今の橋本千紘ができるまでを振り返ってもらった。(取材・文=橋場了吾)
橋本千紘は中学3年の時に、センダイガールズの入門試験に合格した。しかし、そのタイミングで当時代表を務めていた新崎人生からの「まずは受け身の練習が必要」という助言もあり、レスリングに打ち込むこととなった。
「当時は自分のスポーツ経験がバスケットボールしかなくて、柔道かレスリングで入門まで受け身を覚えていた方がいいという話になったんです。それで、家から近かったのがレスリングのクラブチームでして(笑)。レスリングを始めてからは、急に皆がオリンピックを目指すような環境に放り込まれた感じで、人口が少なかったこともあって大きな舞台の経験を踏めました(高校時代にアジアジュニア選手権67kg級優勝、全日本選手権3位の実績を残している)」
プロレスへ即入門ではなく、レスリングを通過したことが橋本にとって大きく意味のあることとなった。橋本がプロレス界に知れ渡るきっかけとなった、代名詞ともいえるオブライト(高角度ジャーマンスープレックス)を習得するきっかけとなったからだ。
「ジャーマンを使い始めてから、SNSで『オブライトみたいだ』と書かれていたのを見て調べてみたら、人名(ゲーリー・オブライト)だったという。で、ある日試合結果を見たら、決まり手が『ジャーマンスープレックス』ではなく『オブライト』になっていて……いつの間にか『オブライト』と呼ばれるようになりました(笑)」
中学3年で入門試験を受けるくらい、橋本はプロレスにはまっていた。
「小学生の時からケーブルテレビでガイアジャパンや全日本プロレスを見ていて、とにかくプロレスを見るのが楽しみだったんです。体調が悪いときでも、プロレスを見たら熱が下がりましたし。プロレスの力ってすごいなと思って、見るよりもやりたい気持ちが強くなったんです。それでガイアジャパンに入りたかったんですけど、解散が発表されるタイミングで、センジョに行った里村(明衣子)さんを追いかけて入門試験を受けました」

レスリングに打ち込んでいるときはあえてプロレスを見ないようにしていた
レスリングに魅せられた橋本は、名門・安部学院高校から日本大学へ進学。プロレスのことはあえて考えないようにしていた。
「高校は、たまたま空き枠が出て入れたんですよ。それで行けたんですけど、当時はまだすぐにプロレスラーになりますと言っていたんですが、初めて練習に行ったときに『こんなに強い人たちがいるんだ』と衝撃を受けて、レスリングをしっかりやってみようかなって心変わりしたんです。高校3年間で周りもオリンピックを目指していますし、自分もそういう環境に行きたい気持ちが大きくなって……気持ちがプロレスに行ってしまわないように、プロレスをなるべく見ないようにしていて。同じ階級に土性(沙羅/リオ五輪金メダリスト)さんがいたんですが、めちゃくちゃ強かったですね……敵わないと思いました」
実は橋本は大学を卒業したら、レスリングを続けずに結婚して青森に引っ越す予定になっていた。しかし大学を卒業してすぐの4月、後楽園ホールで里村の試合を見て「プロレスラーになりたい」という思いが再燃する。
「里村さんとは一度入門を断ってからもたまに連絡は取っていて、その試合の後に食事をする機会があったんです。『まだプロレスラーになる気ある?』と聞かれて……誰にも相談せず仙台行きを決めました(笑)。里村さんも里村さんで、スケジュール帳を開いて『6月11日に仙台に来てください』って。家に帰ってからは親にめちゃくちゃ怒られましたよ。大学も行って、結婚も決まっていて、ありえないって。でも自分は頑なにプロレスラーになると決めて、もう1回身体を作り直して、親にも誠意を見せて仙台に行きました。結果、結婚はしなかったんですけど、今が一番楽しいですしやりがいがありますね」
それから10年、今や橋本は女子プロレス界において「強さの象徴」といえる地位を確立したといえるだろう。
「10周年興行は絶対やりたいなと思っていて、一番はやっぱり岩田美香とのシングルかなと。でもこの前、なつぽいと安納サオリと戦って(奇しくも2人の10周年興行で岩田とのタッグで戦った)、シングルをやったことのない安納サオリは絶対面白いなと思いました。同期のVENYも……私もVENYも浜田文子さんに憧れてプロレスラーになったという共通点もありますし、レスリングの練習もしたことがあったらしいです。私は覚えていないんですが(笑)。10年経って、今のファイトスタイルで長く続けていきたいと思っているので、ケガをしないことは第一に考えています」
後編では“橋本流ケガをしないコツ”に加え、先日引退した師匠・里村明衣子の話も……。
(19日掲載の後編へ続く)
