中澤裕子、転機はモー娘。時代の演歌歌手デビュー 当初は葛藤も「断っていたら今はない」
歌手でタレントの中澤裕子が、6月28日に東京・GRIT at shibuyaで52歳のバースデーライブを開催する。昼夜2公演を予定し、歌手・中澤をたっぷり披露する。現在は、生活拠点の福岡で朝の情報番組にレギュラー出演するほか、コメンテーターやバラエティー番組のゲストなど幅広く活動する。だが実はモーニング娘。を卒業後、毎年コンサートを開いていることは、あまり知られていない。そこでコンサートを目前に控えた中澤がENCOUNTへ“特別手記”を寄せ、歌へのこだわりを明かした。

バースデーライブを6月28日「GRIT at shibuya」で開催
歌手でタレントの中澤裕子が、6月28日に東京・GRIT at shibuyaで52歳のバースデーライブを開催する。昼夜2公演を予定し、歌手・中澤をたっぷり披露する。現在は、生活拠点の福岡で朝の情報番組にレギュラー出演するほか、コメンテーターやバラエティー番組のゲストなど幅広く活動する。だが実はモーニング娘。を卒業後、毎年コンサートを開いていることは、あまり知られていない。そこでコンサートを目前に控えた中澤がENCOUNTへ“特別手記”を寄せ、歌へのこだわりを明かした。(取材・構成=福嶋剛)
いよいよ今年もバースデーライブ『中澤裕子 Birthday☆ Live 2025~5+2~』が近付いてきました。私がモーニング娘。を卒業したのは、2001年の4月でした。そこからすぐにソロ活動をスタートさせ、ソロライブは翌年から始めました。それからほぼ毎年コンサートを行っています。出産やコロナ禍などで何度かお休みしましたが、お腹の中に赤ちゃんがいるということもステージ上でファンの皆さんに大事なお知らせとして報告したり、私にとっては、歌手であることの大切さをかみしめながらライブにこだわって活動しています。
なぜ、今も歌手活動を大切にしているかというと、一つは、私は歌手になりたくてこの世界に入ってきたので、これからも歌うことを貫き通したいという思いがあります。私が歌手に憧れるきっかけはピンク・レディーさんでした。保育園に通っていた頃から、「私はピンク・レディーになる」と思いながら、小学生に上がっても歌番組が大好きでいつもアイドルのみなさんをテレビで見ながら、いつかキラキラしたあの世界に行きたい! アイドルになりたい! という、はかない夢を持っていました。
でも、京都府の素朴な田舎町で育った私にとって、歌手になりたいなんて夢のまた夢だったので、誰にも知られないようにその思いを心の奥にしまっていました。高校を卒業後は地元を離れ、大阪に出て社会人になり、夢を諦めきれないまま大人になりました。そのうち夢も遠のいて、社会人になり大阪で働き始めました。
アイドルになりたい気持ちを忘れられないまま年月だけが過ぎていく中で、心の中にしまっていたモヤモヤがどんどん大きくなり、「私って何がしたくて今の生活を送っているんだろう、私の人生ってこのまま終わっていくんだろうか」と考えるようになりました。今でもあの頃の気持ちははっきりと覚えていて、20歳にもなって何も踏み出せない自分がすごく嫌で、どうしたらここから抜け出せるんだろうって、真剣に悩んでいました。
そんな時に出合ったのがテレビ東京系『ASAYAN』のオーディションでした。
このオーディションを知った瞬間、「これだ! 絶対にこれを受けないといけない」と、心をわしづかみされたような衝撃が走りました。「最初で最後のチャンスだ!」と、97年に「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」に応募しました。ものすごい数の応募者が並んでいる大阪の会場まで行き、履歴書を渡したことを覚えています。そういえば先日、家族で当時住んでいた場所やオーディション会場だった場所を見に行ったんです。当時の面影はまったくなかったですけど、子どもたちに「お母さんが夢をつかむために住んでいた最後の場所なんだよ」って話をしました。
それからモーニング娘。として在籍し、活動していた3年3か月の間に自分が思い描いていた夢をほぼ全てかなえることができました。あの頃のモヤモヤしていた自分が、今を見たらどんなに驚いたでしょうね。歌いたいという夢がかなったからこそ、モーニング娘。を卒業しても歌わせていただける環境がある限りは、歌い続けていきたいと思っています。
私の歌のレパートリーは幅広くて、ファンの方ならご存知だと思いますが、ソロ活動のスタートは演歌でした。今だから言えますが、最初はモーニング娘。をやりながら演歌を歌うことにすごく抵抗がありました。やっぱり演歌歌手のみなさんは何年も歌のレッスンを重ねて活動をしているのに、『ASAYAN』の企画でしかも事務所の大先輩の堀内孝雄さんの曲を歌わせていただくなんて……と悩みました。普段は相談しない母親に話すと、「ほかの誰でもないあなたにその話が来たんでしょう? それも誰もが知っているスターさんの曲を歌わせてもらえる恵まれた環境で何をぜいたくなこと言っているの」とすごく怒られました。あの時、母に相談することなく、お断りしていたら今の中澤裕子は100パーセントいないと言い切れますね。
そして堀内さんに書いていただいた『カラスの女房』で98年に演歌歌手としてデビューさせていただきました。それから27年、ずっと歌い続けて、私が成長するたびに感情も変わっていきますし、私の子どもたちがカラス見るといつも『カラスの女房』って言うんですけど(笑)。そのくらい私にとって『カラスの女房』はターニングポイントになった大切な曲です。

同窓会みたいな雰囲気でライブを楽しみたい
2014年に夫の仕事の関係で家族で福岡に引っ越したときも、福岡の皆さんは私が『カラスの女房』を歌っていたことをご存知の方もいてくださり、街を歩いていると時々「『カラスの女房』、聴いてたよ」って声をかけてくださる方もいて、中澤裕子の代表曲になっているんだなって実感しました。
ライブでは演歌も歌いますし、ありがたいことにソロとして演歌以外の楽曲もたくさん歌っていて、もちろん今回もモーニング娘。の曲もお決まりです。ほかにもハロー!プロジェクトの曲、シャ乱Qさんの曲とかこれからも歌いたい歌はたくさんあるので、今回のライブで何を歌うのか、ぜひ楽しみにしてもらえるとうれしいです。
あ、遅くなりましたが、『中澤裕子 Birthday☆Live 2025 ~5+2~』というライブのタイトルについてもお話したいと思います。5+2は、6月19日で52歳を迎えるという数字でもあるんですが、私が55歳(5+5)になる2028年にモーニング娘。が30周年を迎えます。そこで毎年数字を1つずつ増やしていき、30周年まではこの形で続けていこうと思っています。
最後に、なぜ私がライブを大切にしているか――。もう一つの理由は、ファンのみなさんとお会いするためです。やっぱりモーニング娘。の頃からファンのみなさんの応援があって私はここまで続けることができたので、卒業してもファンのみなさんの気持ちを大切に活動したいという思いは変わりません。ファンの方同士で結婚され、子どもが生まれましたとか、うれしい報告を耳にすると、本当に続けていて良かったなって心から思います。私も福岡に引っ越してからは、その気持ちがさらに強くなり、物理的な距離は離れてもファンのみなさんとの心の距離だけは変わらずにいたいという思いで、ライブの機会を大切にしています。私もファンのみなさんも同じように年齢を重ねていくので、「今年もみんな元気かな?」って同窓会みたいな雰囲気でMCも年々アットホームな感じになっています。
そんな私の52歳のバースデーライブでは、今回お話したような、懐かしい曲の数々を皆さまにご披露したいと思います。6月28日に東京・GRIT at shibuyaで午後3時と午後6時の2公演あります。ぜひ遊びにいらしてください。
□中澤裕子(なかざわ・ゆうこ)1973年6月19日、京都府生まれ。97年、テレビ東京系『ASAYAN』の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」で、つんく♂に見出され、翌98年1月にモーニング娘。として1stシングル『モーニングコーヒー』でメジャーデビュー。以降、2001年4月15日の全国ツアー『ライブレボリューション春』最終日までの約3年3か月にわたりモーニング娘。の初代リーダーを務めた。98年8月に『カラスの女房』で演歌歌手デビューした。ソロ転向後は歌手活動のほか、タレント、俳優と活動の幅を広げている。14年に生活の拠点を福岡に移し、現在は地元テレビ局の朝の情報番組などを担当。
「中澤裕子Birthday☆Live~5+2~」
2025年6月28日(土)GRIT at Shibuya(東京)
1公演目:開場 午後2時30分、開演 午後3時
2公演目:開場 午後5時30分、開演 午後6時
チケット詳細は公式HPへ:https://www.up-front-create.com/yuko_nakazawa/event/detail/84451f9b486afc6e07967ff825330ad0f3896e50
