蝶野正洋、自身の引退「興行は考えてない」 現在の体調も告白「なんとか歩けるようになってきた」
8日に公開されたYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」「【公式】蝶野正洋チャンネル」でのコラボによる初対談が話題を呼んでいる。対談中、蝶野が自身の引退に関する最新情報を口にしていることもその要因のひとつだろう。

「ユークスさん、何がやりたいんですか」(蝶野)
8日に公開されたYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」「【公式】蝶野正洋チャンネル」でのコラボによる初対談が話題を呼んでいる。対談中、蝶野が自身の引退に関する最新情報を口にしていることもその要因のひとつだろう。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
改めて蝶野が自身の引退について言及したのは「暴走王チャンネル」だったが、話は最近、蝶野の古巣・新日本プロレスから主力選手の内藤哲也が退団した件に及んだ時だった。
「オーナーが変わったじゃないですか。俺らが入った時がテレ朝、その後が佐川(急便の佐川清会長)、佐川体制から(アントニオ)猪木さんになっているんですけども、その後、オーナーが(ゲームメーカーの)ユークスかな。……って変わると、俺らは選手会があって、その時も選手がけがをして、どんどんカット(解雇)されてたんですよね。若い選手なんか保証もなく。だから、これは……っていうので、俺が選手会を立ち上げていたんだけど、ある程度それ(選手会で集めたお金)をプールして、(選手からトレーナーに転身した)三澤(威)トレーナーが首のけがでダメになった時にそれを選手会から出して、っていうようなシステムができてた」(蝶野)
そもそも論として蝶野は、「俺は選手の契約が一律なのはおかしいと思ってた」と話す。
「トップの選手と中堅の選手と若い選手っていうのはそれぞれ状態が違うから、トップはトップで人それぞれ。俺は俺の契約をしていた。(グッズ収入などの)ロイヤリティや何かに関しても、俺は俺で条件をつけて。そういうふうに風穴を開けたら、けがの治療だったりそういったけがの保証もつけて。そしたら周りも自然と次の交渉で使っていくし」(蝶野)
しかし「そういうことを積み上げてきたんだけど、オーナーが変わると」同時に状況が変わってしまったという。
「まずユークスの時に最初にやってきたのは、現場のコストカット。次は内部ですって、ホントは内部から入らないといけなかったんだけど、外部からやる。俺はその時に、『ユークスさん、何がやりたいんですか。ホワイトナイト。つなぎとして会社(経営状態を)をクリーンにして、次は転売ですか。それだったらそれをちゃんと言ってくれれば、俺はそれなりにアドバイスをしたい』と(伝えた)」(蝶野)
実際、ユークスは新日本の社内整理をし、2012年にはブシロードが新日本プロレスのオーナー権を獲得した。
「地上波、BS、CS、それからネットの配信系とかなりのチャンネルを持って、それに対応して、選手たちは売り上げも上がっているじゃないですかって、ベテランの選手なんかが欲しいのはけがの保証なんですよ。俺なんかも年に150試合もできなかったから、80試合に下げて、最後の年は。残りはメンテ(治療)をしてリングに上がる状態を維持してたけど、最後の年(2009年)は『その保証ができない』って言われたの。ユークスの時、ブシロードの前かな」(蝶野)
蝶野が危機感を持ったのは、2009年にプロレスリング・ノアのリング上で起こった、三沢光晴社長のあってはならない事故と無縁ではなかった。
無縁ではなかった、三沢光晴社長の事故
蝶野いわく、「だから(新日本は内藤に)やるかやらないか。トップを張るのか、もう張れないです。だったらギャラ半分以下だよっていう、たぶんそんな交渉になっちゃったんじゃないかなって」と推察し、主力選手が新日本を離れるきっかけとなったのは、オーナーが変わったこととつながっている、という見解を示した。
しかも蝶野は、返す刀で小川に対し、「新日本はどういう感じ? やっぱ故郷?」と水を向ける。
この問いに対し、小川は「故郷っていうか、何か他人事じゃないっていうか、一度はお世話になったところっていうのは(意識はある)。ただ、猪木さんがよく新日本のことをずーっと言っていたので。エラい新日本のことを研究させられたんですよ。ひとつ危惧していたのは、今のスタイルをやっていると、選手寿命が短くなってくるし、さっき言っていたけがの問題っていうのは出てくるから、ああいうのは好きじゃなかったですね」と、師匠・アントニオ猪木の話を披露する。
小川によると猪木は、自身が創立した新日本プロレスの行く末を案じていたという。ここからは小川と蝶野の発言を再録する。
小川「まず僕ら(UFO)が(新日本に)行った時には、(当時の)ジュニア(ヘビー級)の試合が今の(新日本全体の)試合と似ているじゃないですか。だから猪木さんは『これだけはやらせたくない』っていうのは、常々(言っていた)。『見たくねえよ』っていうのは言っていて。それが今、ヘビー級まで……」
蝶野「(過去の新日本の)ヘビー(級の試合)じゃなくなってきたんだよね」
小川「そうです。それがなくなって。(猪木が)言っていることが、ホントそのようになってきたっていう感覚ですね。さっき言われた(内藤)選手が辞めたってなって、原因がそれもあるんだってなると、そうだよなって。だから、だんだん猪木さんの言っていることとリンクしていく。もう20年以上前ですから、その時から(猪木は)予知していた」
ここから、さらに噂される蝶野自身の引退についても言及している。
小川「(蝶野の)引退興行の話は気にはなりますよね」
蝶野「俺は興行は考えてないです。やるとしたら、まあ、興行としてやるつもりはない。興行っていろいろなものが絡んできて面倒臭いよね」
小川「(引退興行は)やってほしいですよね。レスラーって引退興行をして戻るっていう風潮があるなかで、蝶野さんはそういうことをやってこないじゃないですか」
蝶野「今なんとか歩けるようになってきたけど、こっち(左足)がしびれちゃってて。それのリハビリでようやく少しずつなんとか。ちょっと年内にどれだけカラダが動かせるのかって」
小川「じゃ、前向きにやる(方向で?)」
蝶野「それをひとつの目標にしている」
正式に蝶野の引退試合があるのか否か。しかもそれが年内か来年になるのかは蝶野の体調次第になるだろうが、いずれにせよ蝶野と小川による初対談は、意外や意外、それぞれの新日本プロレスに対する思いが詰まったものになった。
(一部敬称略)
