がん闘病の西村修、大手術からわずか4日後の“スピード退院” 支えに感謝「もう本当に楽になりました」

脳腫瘍の摘出手術を受けたプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が1日、都内の病院を退院した。

退院後、地元の店でしょうが焼きを食べた西村修【写真:ENCOUNT編集部】
退院後、地元の店でしょうが焼きを食べた西村修【写真:ENCOUNT編集部】

7時間の手術で“違和感”消えた 地元で退院祝い

 脳腫瘍の摘出手術を受けたプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が1日、都内の病院を退院した。

 西村は10月19日、自宅で就寝中にけいれんを起こし、救急搬送された。精密検査の結果、食道から脳に転移したがんが3センチを超え、またむくみも見られたため、28日に7時間に及ぶ開頭手術を受けた。

 手術の影響が心配されたが、西村はしっかりした足取りで姿を見せると、「入院前に比べたらもう本当に楽になりました。頭の中のクリアさと記憶力と。こんなに言葉出てこなかったですもんね」と手術の効果に驚き。倒れる前は、人前でのあいさつで言葉が出なくなるなどの症状があったものの、脳腫瘍を取り除いたことで、本来の調子に戻ったことを明かした。

 実際、西村の表情は元気な時と全く変わらないほどに回復。なぜかパスワードの記憶は戻らず、自分のパソコンやスマホが使えない、フェイスブックなどのSNSが利用できないといった不便さが生じているが、がん患者であることを忘れさせるほど口調はよどみがなかった。

 手術後、人工呼吸器をつけながらモニター越しに家族と対面した。その時すでに脳はクリアな状態になっていたと言い、西村は「何食べたい?」との質問に「ちからそばが食べたい」と好物の名前を挙げて答えている。日に日に体調は上向きになり、大手術からわずか4日後の“スピード退院”となった。

 けいれんを起こした時、家族が気づいたのは幸運だった。今改めて思うのは、生きていることの奇跡、そして命の大切さだ。

「いや、本当に、命ってやっぱり生かされているんだなっていうのは改めて思いますよね。これはもう自分のためだけじゃないというか、人のためにこれからもさらに尽くさないと、と余計感じさせられました」

 意識を失ったのは7月に続き2回目。今回は西村が病院に到着後、土曜日の深夜にもかかわらず主治医が駆けつけ、治療が行われた。「嫁が朝までずっとここにいてくれて。で、月曜ぐらいじゃないですか。目が覚めたのは」。入院中、西村の母親は時間があれば神社に行き、回復を祈った。

「私たち人間は、やっぱり神様に守られているって感じますよね。このまま死んじゃうんだったら神様なんかどこにいるんだって思うかもしれませんけど、よく守られてるなと思いました」と西村は周囲の支えに感謝しつつ、実感を込めた。

 退院後、西村が家族と向かったのは、文京区の洋食店「三好弥」だった。西村が小学生の時から40年以上、通い続ける地元の店。看板メニューのしょうが焼き定食をもりもりとたいらげ、店主も交えて久しぶりにそろったメンバーで退院を祝った。

「私の場合は食事の制限は特にないですね。どんどん食べなさいって形で」

 抜糸はまだしておらず、額の上には痛々しい傷が残っている。これで終わりではなく、治療は続いていく。原発となった食道がんの根絶も並行して行っていく必要がある。

 しかし、手術により“違和感”が消え、再び自宅で家族と過ごせる時間ができたことは何よりの喜びになった。

「もう上を目指すだけ。筋トレも今日の夕方から始めますから。プロレスに議会に頑張るしかありませんけど、とりあえずはコンディション調整をしないと」と前を向いた。

西村節も復活 「世の中を未病にしなきゃいけない」

 体力があるのもレスラーならではの強み。無我の哲人の“らしさ”も戻ってきた。

「まずは地域のため、人のため。そこが1番。昔から言ってますけど、自分の名誉だとかお金だとか、そんなことはどうでもいいこと。皆様の幸せ、健康。あとは世の中を未病にしなきゃいけないですよね。東洋だけで治せること、西洋だけで治せること、さまざまありますから。それをきっちりミックスさせて、きちんと整合性を取りながら、世の中を未病に進ませたいと思っています」と熱く語っていた。

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