山田雅人「渡る世間は鬼ばかり」藤岡琢也さん相手に楽屋で磨いた“話術”

1980年代後半、関西を中心に人気を博し、俳優としてもドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)で「おかくら」の2代目板前を熱演するなど、30年以上に渡りマルチに活躍するタレントの山田雅人(59)。彼がライフワークとして取り組んでいる一人語りの芸「かたりの世界」は、2020年に11年目を迎えた。円熟期に入り、さらに磨きをかけた「かたり」を聞かせる唯一無二のエンターテイナー。その原点を2回に渡って紹介する。

「かたりの世界」のきっかけを話してくれた
「かたりの世界」のきっかけを話してくれた

山田雅人「かたりの世界」の原点を探るインタビュー(後編)

 1980年代後半、関西を中心に人気を博し、俳優としてもドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)で「おかくら」の2代目板前を熱演するなど、30年以上に渡りマルチに活躍するタレントの山田雅人(59)。彼がライフワークとして取り組んでいる一人語りの芸「かたりの世界」は、2020年に11年目を迎えた。円熟期に入り、さらに磨きをかけた「かたり」を聞かせる唯一無二のエンターテイナー。その原点を2回に渡って紹介する。

 山田は、8月6日に東京・町田のライブスペースで、緊急事態宣言後初となる有観客+配信の新たな「かたり」に挑戦する。今回のテーマは「伝説の日本シリーズMVP・川崎憲次郎物語」。このイベントの企画者であり「かたりの世界」のファンと公言する作曲家の成瀬英樹が山田を直撃。2回目は、山田雅人の「かたり」の世界を深掘り

「舞台でやりなさい」高田文夫先生が開けてくれた「かたり」の扉

成瀬「山田さんの『かたりの世界』は、09年からだとお聞きしてちょっと驚きました。子どもの頃から競馬実況に親しんで、長く舞台やテレビの司会業もされている山田さんが48歳まで『かたり』をやらなかったことが不思議です」

山田「単純にお客さんを前に僕1人で話す自信がなかったんですよ。テレビならVTRもあるし、共演者もいますしね。だから楽屋話として披露していたんです。『渡る世間は鬼ばかり』というドラマに12年間出演させていただいて、そこで共演者の方を前に長い待ち時間の間、楽屋で『語り』をやっていたんです。藤岡琢也さんは阪急ブレーブスのファンで、福本豊さんや加藤秀司さん、山田久志さんと親しかったので、『福本豊物語』を披露したらすごく喜んでくださって」

成瀬「いいなあ (笑)。山田さんが舞台に上がるきっかけは高田文夫さんだとお聞きしました」

山田「はい。08年の10月でした。高田先生に『“稲尾和久×長嶋茂雄物語”を作れ』って指令があって。もともと稲尾さんとは大阪の情報番組『おはよう朝日土曜日です』(ABCテレビ)で5年間一緒だったから、たくさんお話を聞かせてもらっていてね。ただし稲尾さんから『俺が死ぬまでは、外で話をしないように』と強くお願いされていたんです」

成瀬「稲尾さんは長嶋さんと対戦した記憶をハッキリと覚えていたんですか?」

山田「とっても鮮明に覚えていらっしゃったんです」

成瀬「そうなんですね。稲尾さんが亡くなったのは07年だから語りを作ったのはその1年後ですね」

山田「そうです。改めて稲尾さんの話をもとに、大分の故郷に伺って、お墓参りをしてから作ったんです」

成瀬「約束を果たしたんですね」

山田「それで高田先生に『できました』って年賀状に書いたんです。僕はてっきり新年会で披露するつもりでしたが、高田先生から『舞台でやりなさい』って返事をいただいて。僕が『自信がないです』って答えたら『やらないとだめ』って。すぐに春風亭昇太さんに僕の舞台を作るよう電話をかけてくれたんです。先輩の昇太さんから『君は高田先生に何を言ったんだ? おかげで僕は君の舞台を作らされる羽目になったんだ。もう余計なことは言わないで』って怒られました(笑)。最初の舞台は忘れもしない09年3月18・19日。場所は下北沢でした」

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