かつみさゆり「生まれ変わっても夫婦がいい」 さゆりを変えた、かつみが号泣した日

髪飾りを引っ張る「ボヨヨーン!」のギャグで全国に名を馳せた夫婦漫才コンビの「かつみ・さゆり」(・はハートマーク)。さゆりがその圧倒的な美脚を維持するために自ら実践する美容法などについて記した「さゆり52歳 生き様ビューティー」(ヨシモトブックス)が出版された。かつみと共に借金返済に奔走し、なにかに追われるようにがむしゃらに働いてきたというさゆり。順風満帆に見えた彼女を突然襲った病魔や、そこで感じたかつみからの深い愛情について話を聞いた。

52歳になった「かつみさゆり」のさゆり。おなじみの衣装にもこだわりが詰まっているという。【写真:荒川祐史】
52歳になった「かつみさゆり」のさゆり。おなじみの衣装にもこだわりが詰まっているという。【写真:荒川祐史】

「かつみさゆり」のさゆりが語る 大病を乗り越えた夫婦の絆

 髪飾りを引っ張る「ボヨヨーン!」のギャグで全国に名を馳せた夫婦漫才コンビの「かつみ・さゆり」(・はハートマーク)。さゆりがその圧倒的な美脚を維持するために自ら実践する美容法などについて記した「さゆり52歳 生き様ビューティー」(ヨシモトブックス)が出版された。かつみと共に借金返済に奔走し、なにかに追われるようにがむしゃらに働いてきたというさゆり。順風満帆に見えた彼女を突然襲った病魔や、そこで感じたかつみからの深い愛情について話を聞いた。(取材・構成=安藤かなみ)

――関西を拠点にしていた「かつみ・さゆり」が、全国区のテレビ番組に出演するようになった経緯を教えてください。

「20年くらい前にコンビを結成して、早いうちに関西では10本くらいレギュラーをいただいていました。その3、4年後くらいには東京に呼んでいただくようになりましたが、『ザ・なにわ』のコテコテ感に、全国の方はびっくりされたと思います(笑) まだ若手でしたし、ただがむしゃらにやってきて、そのまま東京に乗り込んだ感じです。文化が違うとか、そんなことは考えずに突っ走っていましたね。

 かつみさんが以前組んでいたコンビ時代のことや、その解散の経緯、借金のこともあって、私にとって関西の方はどこにいても身内のような存在で、全員が家族。親戚のおじさんおばさんがずっと見守ってくれていたり、おいっ子やめいっ子が『さゆりちゃん』と言って懐いてくれる。今でもそうしてもらえていますし、私は関西の皆さまには足を向けて眠れません!

 そんな20代、30代、40代を経て、最近はようやく落ち着きました。当時はとにかく日々、なにかに追われるようでした。とにかく借金を返していかないといけない。病気をして休んで給料がストップしたら……。そう考えると、『しんどい』と言っていられる状態ではなく、寝る間もなく走り続けていましたね。それで、精神的に頑張っていても肉体がついていかなくなって倒れてしまったのが30代のころ。手術をして、1か月休むことになりました」

――仕事が波に乗り、走り続けている中での病気療養。勇気がいる決断だったのでは。

「お医者さんから、手術するために休まないといけないと言われたときは、『それはムリ』と思って。やっと2人でお仕事をいっぱいいただけるようになって、レギュラーもたくさんいただいていたんです。『私がいない間に違う方が入ってそのままだったら』『私くらいの実力だったらもう戻れないかも』という不安もあって、絶対に休みたくなかった。周りの方と一緒に作り上げているレギュラー番組を休んで、穴を開けてしまうことへの罪悪感もありました。迷惑をかけたくなかったんです。

 ずっとだましだましやっていましたが、ついに救急車で運ばれてしまいました。そこでお医者さんに『1年間必死にやることはできても、5年後10年後は生きていないよ』『それくらいの覚悟を持ってこの1年間仕事するのか』と言われました。そのとき、かつみさんは『お願いやから休んでくれ』と私に言いながら、涙を見せたんです。『さゆり以上に大事なものはない』『全部をなくしてもいいから、今は休んでくれ』と。あの人は生い立ちがきつくて、泣くような人じゃなかったんです。涙を見たのはあのときが初めてでしたし、『そこまで思ってもらえていたんだ』と受け止めて、休むことを決断。気持ちを切り替えることができました」

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