“Uの頭脳”宮戸優光氏、料理人としてのゴール明かす 格闘人生36年で目指す究極の味とは

元プロレスラーで"蛇の穴"CACCスネークピットジャパン主宰の宮戸優光氏(56)が道場内にちゃんこ店をオープンさせて話題を呼んでいる。道場設立21年の節目に一念発起して道場を大改造。道場の指導に身を置きながらも、料理人へと"転身"した。かつてプロレス引退後に中華の鉄人、故周富徳さんに弟子入りしたことで知られる宮戸氏が、紆余曲折の末にたどり着いたちゃんこ店。そこにかける思いと覚悟とは。戦友たちとのちゃんこの思い出も語ってもらった。

プロレスのお宝も満載の食堂内
プロレスのお宝も満載の食堂内

道場併設の食堂を一般に開放「ちゃんこの台所」が反響

 元プロレスラーで”蛇の穴”CACCスネークピットジャパン主宰の宮戸優光氏(56)が道場内にちゃんこ店をオープンさせて話題を呼んでいる。道場設立21年の節目に一念発起して道場を大改造。道場の指導に身を置きながらも、料理人へと”転身”した。かつてプロレス引退後に中華の鉄人、故周富徳さんに弟子入りしたことで知られる宮戸氏が、紆余曲折の末にたどり着いたちゃんこ店。そこにかける思いと覚悟とは。戦友たちとのちゃんこの思い出も語ってもらった。

ーーこのタイミングでお店を出されたのは。

「スネークピットジャパンがこの春で21年目なんですね。それで、去年から『20年目の時に何かやりたい』、あるいは『丸20年経った中で何かやりたい』と思っていたんですよ。前半の10年はビル・ロビンソン先生とともにやってきた。そしてこの10年は、そこで学んだもの、培ったキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(CACC)を全面に押し出してやってきた。そういう中で、やってきたものにプラス、新たなスタートとして何かやりたいという気持ちで施設を大改造して食堂を作りました。私の中ではちゃんこ店ではなくあくまで道場の食堂なんですよ」

ーー道場内にオープンするというのは珍しいです。

「プロレスの道場とちゃんこ、相撲の稽古とちゃんこというのは本来セットで、実はスタート時から、みんなが食べられる食堂、調理場というのは欲しいと思っていたんですよ。ただ、やっぱり技術伝承というロビンソン先生を置きながらの中では、たまにやることはあっても、あるいはイベントでやることはあっても、毎日のようにというのは実際にはそこまで取り組めなかったですよ。でも、もともと実は料理も好きでね、ジムをやる前、プロレスを辞めた後は『料理もいいなあ』なんて思った時期もあったぐらいでしたから、よしここでそういう台所を作ってみようかと思いました」

ーーお店を一般のお客様にも開放した理由は。

「道場の人だけが食べれるようにするのは従来のプロレス道場の在り方ですよね。それをもう一つ、外までみんなにも食べてもらえるものにするのかどうかという迷いの中で、ボクも56、57になりますからね、最後ここで思い切ってやってみるかということで、大改造して『ちゃんこの台所』ということで道場の食堂を一般にも開放しますという思いでした。社員食堂や一般の人が入れる学食があったりしますけど、それと同じテーマですね」

ーーちゃんこ鍋のほかにもさまざまなメニューがあります。

「ちゃんこはプロレスの食事、レスラー、相撲取りのまかないめしのことだから、我々の食堂に来ていただく以上は、『レスラーめし=ちゃんこ』ということなんですよ。皆さん、ちゃんこというとちゃんこ鍋と思っているんだけど、そうじゃないんです。カレーを出してもちゃんこ、ステーキを焼いてもちゃんこ、みそ汁を出してもちゃんこなんですよ。我々のいわゆる食事としての俗称というのかな、通称をそのまま、しかも味を変えずにというのがコンセプトです。一般のちゃんこ屋さんはある意味、お料理屋さんでしょ。そうじゃなくて、道場のご飯を本当そのままの、しかも自分が若手時代に作ってきた、昔ながらのそのままの味でご提供しますと。それは実際、口に合うかどうかまだスタートして4か月ぐらいなので、最終的に皆さんがどういう判断してくれているのか分かりませんけど、とりあえず、喜んでいただけているんじゃないかなと思います」

ーー開店して難しさを感じるところは。

「若手時代のちゃんこ番はスタートの人数がだいたい分かっているじゃないですか。けど、こうやって外からお客様に来ていただくとなると、本当にフタを開けてみるまで何人が来ていただいて、実際何を注文していただけるかも分からない。そういう中で準備というのはあくまで想定したもの、頭の中で仮定してものなので、そこはなかなか思い通りには運ばないですね。それと、料金をいただくということも違いの1つです。もちろん、先輩に『おいしくねえ』とか『なんだこの味』って言われる、そっちの恐怖もそれ以上に怖いわけだけど、ただ、お金をいただくということ、そして喜んで帰っていただくという、この2つを満たさないといけないというのは、また道場以上の緊張感と責任の中でやらなきゃいけない。喜んで帰っていただけたかなと思うと、それは嬉しいですね」

ーー逆に変わらないところは何でしょうか。

「やはり口に入るものであるし、そういう意味では自分自身が食べたいもの、好みもあるんだけど基本は自分自身がおいしいな、これは体にいいなとかね、安心して食べられるというものを基本に1つの課題というかテーマにしています。自分自身が安心して、自分の家族と同じように食事を提供する。昔、道場でレスラーたち全員が体作りのために、健康作りのためにお腹いっぱい食べた。そこはまさに昔のプロレス道場の食事と同じテーマで取り組んでいます」

ーー話題になっているのが伝統の味が継承されていることです。

「私が若手時代からずっと作ってきた湯豆腐という鍋がある。人気メニューの1つなんですけど、それを、それこそ30数年前から作っていたメニューを、2年ぐらい前に(相撲出身のプロレスラー)鈴川真一選手に出したんですよ。そしたら『わっ』って驚くわけ。『どうしたの』と言ったら『これ、相撲界と同じ味じゃないですか』って言う。『え、そうだったの』って。よく考えれば、プロレスの食文化は力道山先生が持ち込んだ『ちゃんこ』と呼ばれる文化だから、それは当たり前のことなんだけど、ただ、プロレスのちゃんことして若手時代から当たり前に作っていたものを今、反対側から来た人が『同じ味だ』と言ったのは嬉しかったですよ。何が嬉しかったかって言うと、ボクはプロレス界にいながら直接的には力道山先生とは触れてはいない。けど、実際、プロレスという中で生きてきたんだなって実感として力道山先生を感じれたっていう嬉しさがとってもありましたね。日本プロレスの父と言われた力道山先生の歴史の一部を継いでたんだなと」

ーー「カール・ゴッチのハムエッグ」というメニューもあります。

「あれはちょうど私が若手というか、デビュー前ですね。デビューは旧UWFと呼ばれた時代なんだけど、その前にタイガーマスクの佐山聡先生の内弟子だったんですよ。約2年、お世話になったんですけど、その時の半分以上、1年以上の年月を佐山先生のご自宅で過ごしたんですね。その時にゴッチさんがしばらく泊まりに来られたことがあって、その時、ボク朝食を作る係だったんですよ。晩御飯も作った時あったんですけどね。その時お出しした目玉焼きをゴッチさんがとても喜んでくださって、『お前の目玉焼きはおいしいな』と言ってくださって、それを再現したんです。当時ハムは市販のものだったんですけど、ここでは自家製というか、今は安いハムというのは添加物だらけで、さっきの話に戻れば本当に安心して自分自身が食べられない。ましてや人様の口に胸張って出せるようなものじゃないですよ。いざやってみたら、そんな難しいハムじゃなくて簡単ハムだけど、ちょっと手間がかかるけど、市販のものより肉っていう感じがしておいしいし、よしこれなら作ってみようかということでそれでお出ししています」

ーーゴッチさんとのハムエッグの思い出はありますか。

「ゴッチさん、黄身の固いのがお嫌いなんですよ。ちょっとツンとやってドロといくぐらいがお好きだった。それをゴッチさんは、生の玉ねぎをひし形に切って、それですくって食べられていた。ただ、それを真似したらちょっと胸が焼けた思い出があったので、ここではそこまでは再現していませんけど、ゴッチさんはそんな召し上がり方をされていましたね。ここで食べていただいた方にはそんなエピソードもお話する時が多いです」

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