【プロレスこの一年 ♯47】猪木が新技「卍固め」でBI砲がタッグ王者防衛 ドリー・ファンクJr.が初来日 69年のプロレス
今から52年前の1969年(昭和44年)、日本のマット界を担っていたのは日本プロレスと国際プロレスだった。日プロでジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が活躍し、猪木もシングルのリーグ戦で優勝。2大エース時代が到来すれば、国際ではストロング小林が凱旋(がいせん)帰国し、元日に改名したラッシャー木村が新エースとしての基盤を作る。また、年末が近づくとNWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンクJr.が初来日し、馬場と猪木を相手に驚異的な戦いをやってのけた。今回は、69年のマット界を振り返る。
BI砲がインタータッグ王座を2度奪回
今から52年前の1969年(昭和44年)、日本のマット界を担っていたのは日本プロレスと国際プロレスだった。日プロでジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が活躍し、猪木もシングルのリーグ戦で優勝。2大エース時代が到来すれば、国際ではストロング小林が凱旋(がいせん)帰国し、元日に改名したラッシャー木村が新エースとしての基盤を作る。また、年末が近づくとNWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンクJr.が初来日し、馬場と猪木を相手に驚異的な戦いをやってのけた。今回は、69年のマット界を振り返る。
1月1日、国際の宮崎大会が夜7時からテレビで生中継された。元日の生放送は日本のプロレス史上初めての出来事である。この日は、ビル・ロビンソンがグレート草津を破りIWA世界ヘビー級王座初防衛に成功。ロビンソンは前年12・19岡山でリーグ戦を制し、初代王者となっていた。IWA世界ヘビー級王座はその後、国際のフラッグシップタイトルとして、団体の頂点に君臨する証となっていく。その礎を築いたのが、ロビンソンなのである。
日プロでは、1・3蔵前で馬場&猪木のBI砲がダニー・ホッジ&ウィルバー・スナイダー組と60分フルタイムドローでインターナショナルタッグ王座の防衛に成功した。この大会も正月のテレビで生放送されている。BI砲は6日後の広島で再戦を行い、まさかの王座陥落。馬場と猪木はコンビ結成以来、ベルトを失ったのはこれが初めての経験だった。それでも2・4札幌でリベンジし、奪回に成功。2・11秋田では前王者組のアピールからふたたび再戦を行い、BI砲が初防衛で返り討ち。決勝の3本目を制したのは、猪木の新技である卍固めだった。
シングル戦線では、3・4東京体育館が雪のため延期になるハプニングに見舞われたものの、翌日の仕切り直しで馬場がザ・デストロイヤーと60分引き分け、インターナショナル王座7度目の防衛に成功した。「第11回ワールドリーグ戦」では、BI砲が優勝争いを展開。5・16東京体育館における最終戦で馬場がボボ・ブラジルと引き分ければ、猪木がクリス・マルコフを卍固めで破り、最終得点で馬場を上回った猪木が悲願の初制覇を達成した。馬場&猪木の2大エース時代が、本格的に到来した。
猪木は5月21日、香港遠征でエキシビションマッチながらカール・ゴッチと初対決。6・12秋田ではクルト・フォン・ストロハイムを相手にゴッチ直伝のジャーマン・スープレックスを初公開してみせた。
国際では、5・5新潟でロビンソンが木村を退けIWA世界ヘビー級王座V4。これを最後に、ロビンソンは8か月の滞在を終え一時帰国。その後はカナダ、アメリカの北米に進出することとなる。6月25日、ロビンソンに代わるようにして、小林が欧州遠征から凱旋帰国、6・27足利で帰国第1戦を行った。これに先立つ5月18日、小林はフランス・パリで豊登と組んでモンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアント)&イワン・ストロゴフ組を破り初代IWA世界タッグ王座を獲得していた。また、小林は10・14葛飾区でバディ・コルトを破りUSAヘビー級王座を奪取、これが国内におけるシングル王座の初戴冠でもあった。