プロレスラーの年末年始の行事 昭和のヤングライオンたちの大騒動

クリスマスやお正月。年末年始は恒例のイベントが多い。今年は新型コロナウイルス禍で自粛が求められるが、対策を取ったうえで、少人数で楽しみたいところ。

新日本プロレス1979年(昭和54年)「サマーファイト・シリーズ」パンフレット【撮影:柴田惣一】
新日本プロレス1979年(昭和54年)「サマーファイト・シリーズ」パンフレット【撮影:柴田惣一】

絆が強かったヤングライオンたちの団結力は相当なもの

 クリスマスやお正月。年末年始は恒例のイベントが多い。今年は新型コロナウイルス禍で自粛が求められるが、対策を取ったうえで、少人数で楽しみたいところ。

 昭和の新日本プロレス道場では、クリスマス前後に「餅つき大会」が開催されていた。「いつも、うるさくてすいません」と、ご近所さんもご招待。ファンの人たちと一緒になって、選手がつくお餅に舌鼓を打っている。

 中でも人気はアントニオ猪木氏と藤波辰巳(現・辰爾)。「早く、早く」と催促され、つきが足りないお餅を出すこともあった。それでもファンは「猪木がついたお餅だ! 食べたら強くなりそう」と、大喜びで食べていた。

 大人のファンにはお酒も振る舞われる。藤原喜明など酒豪の選手が一升瓶ラッパ飲みなどを披露し大いに喝采を浴びていた。

 とはいえ、イベントはあくまでファンサービス。クリスマスもお正月もなく、練習はいつも通り。合宿所住まいのヤングライオンはともかく、猪木氏や凱旋帰国し大人気だった藤波など、スター選手も道場に現れ、周囲を驚かせた。

「クリスマス当日なのに練習?」

「一日練習を休むと、取り戻すのに三日かかる。と言われているからね」

 もちろん取材などで忙しい日もあったが、少しでも時間を作り出し、可能な限り道場に来ていた。猪木は「それに、俺らが練習をしていれば、若手だってやるしかないだろう。フフッ。練習しろと口でうるさく言うよりも効果があるんだよ」と笑っていた。

「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」とは、日本海軍を率いた、山本五十六元帥の名言だが、猪木も実践していたのだ。

 キャリアを積むと、一人での練習が増える。自分に合った練習メニューが確立されるのだろう。ストレッチ中心の選手、ウエート中心の選手、といろいろだが、受け身の練習は欠かさなかった。

 前、後ろ、横、前回り……100本受け身も軽々とこなしていく。「受け身の音でコンディションが分かる。道場で実際、見てなくても(隣接する)合宿所の方にいても、音で分かるよ。絶好調ならいい音がする。音が割れていれば、調子悪いのか、どこか故障個所があるんだなって」と、鬼軍曹・山本小鉄さんが生前よく指摘していた。

 先輩が帰った後のヤングライオンたちは、若者らしくいろいろ語り合う。「クリスマスに何がほしいか」という話になり、口々に最新式の電化製品や高級腕時計などをあげて盛り上がっていた。

 初詣は道場近くの等々力不動尊に参拝することが多かったが、そこではまず「けがのないように」、そして「チャンピオンになれますように」と祈願していた。

 海外遠征に出発し凱旋帰国するというのが当時の出世コース。「海外修行に行けますように」という希望もあった。もちろん一番は「もっと強くなりますように」である。

 ある時、ヤングライオンの一人がハタと気付く。「クリスマスは品物を願い、初詣では夢をお願いするんだ!」「そうだ、そうだ」と、目から鱗が落ちたような大騒ぎ。家族よりも一緒にいて、絆が強かった選手たち。団結力は相当なものだった。

 皆さんは何を願うのだろうか。人間の欲望にはキリがないが、体を使うプロレスラーではないが「健康第一」。今年はこれではないだろうか。

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