朝倉海が浴びた洗礼、鶴屋玲には上がった称賛 中国記者はまさかの行動…UFC上海現地で感じた異質な熱狂【取材後記】
格闘技の世界最高峰「UFC」のイベント「UFC Fight Night: Nurmagomedov vs. Song」が8月29日、中国・上海オリエンタルスポーツセンターで行われた。アリーナを包み込んだのは、自国ファイターへの大声援と、対戦相手への容赦なき大ブーイング。しかし、そこには、国籍関係なく格闘技へのリスペクトも感じられた。日本と正反対の騒がしいプレスルームに、大会後の意外な結末まで、現地で取材したからこそ感じた空気をレポートする。

生ごみ臭と怒鳴り合い…到着早々に巻き込まれたドタバタ劇
格闘技の世界最高峰「UFC」のイベント「UFC Fight Night: Nurmagomedov vs. Song」が8月29日、中国・上海オリエンタルスポーツセンターで行われた。アリーナを包み込んだのは、自国ファイターへの大声援と、対戦相手への容赦なき大ブーイング。しかし、そこには、国籍関係なく格闘技へのリスペクトも感じられた。日本と正反対の騒がしいプレスルームに、大会後の意外な結末まで、現地で取材したからこそ感じた空気をレポートする。(取材・文=島田将斗)
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成田国際空港から空路で3時間。あらかじめダウンロードしておいたTBSドラマ『VIVANT』を見ていると、あっという間に上海浦東国際空港に到着した。巨大なハブ空港ゆえに、降機してから入国審査のゲートまでは専用のシャトルトレインで移動する。
これまで豪州、米国、タイなどさまざまな国を訪れてきたが、入国においてこの瞬間が一番緊張したかもしれない。苦労の末に発給してもらった短期のジャーナリストビザを手に、中国へ足を踏み入れるからだ。
渡航が決まってからの1か月間、インターネットで現地の入国審査について何度も調べた。気休めになる情報を探しても、必ず「超厳格」というワードが目に飛び込んでくる。
何もやましいことはしていないのに、得体の知れない緊張感を抱えながら「外国人」レーンに並んだ。隣の「一帯一路」レーンはスムーズに進んでいくが、筆者が並んだ列は一向に進まない。周囲に日本人の姿は少なく、やり取りのシミュレーションすらできない。「一体何を質問されるのだろう」とソワソワしていると、ついに順番が回ってきた。険しい表情の審査官が、紙幣を数えるような手つきと猛スピードでパスポートのページをめくる。ところが次の瞬間、「OK」と一言だけ告げられ、あっさりとゲートが開いたのだ。
「え、これだけ?」。ネットの情報を鵜呑みにしてはいけないと、つくづく痛感した瞬間だった。
スーツケースを回収し、晴れやかな気持ちで正規のタクシー乗り場へ向かう。白タクらしき客引きからの「タクシー?」という声には耳を貸さず、一直線に進んだ。制服を着たスタッフに「レッド」と指示され、疑うことなく午後5時過ぎに赤い車体のタクシーに乗り込んだ。
あらかじめスマートフォンに入れておいた中国の地図アプリを見せ、目的地の「上海オリエンタルスポーツセンター」付近を指差す。ふと見渡すと、窓ガラスは茶色く濁って外の景色が見えにくいほど汚れ、車内にはタバコのヤニとその奥に生ごみの臭いがする。角刈りにキラキラ光る黒シャツを着た怪しげな運転手と、彼が操作する地図アプリから流れるアニメ風の「萌え声」ナビゲーション。車窓からの風景よりも先に車内の情報量が一気に押し寄せてきた。
荒い車線変更を繰り返す運転に少し車酔いしそうになりながらも、夜でも明かりがほとんど点いていない入居率の低そうな高層マンション群を通り抜け、やがて“いかにも上海”といった近代的なビル群へと突入する。クラクションが鳴り響く渋滞を抜けると、ようやく会場付近に到着した。
タクシーは、ビルの駐車場の出口を塞ぐような形で急停車した。助手席に提示されたアリペイ(決済サービス)のQRコードを読み取ると、運転手は無言で私のスマホを手に取り「300元(約7100円)」と入力した。距離にして約40キロ。日本と比べれば安いものの、想定より高い金額に違和感を覚えた。しかしその直後、駐車場所を巡ってビルの警備員と運転手が激しい怒鳴り合いを始めたため、揉め事に巻き込まれまいと車を降りた。
のちに現地の配車アプリ「DiDi」で調べてみると、同距離の相場は110元から最高でも190元程度だと判明。見事にぼったくられていたのだ。拍子抜けするほどあっさり終わった入国審査に始まり、ぼったくりタクシー、そして突然の喧嘩。到着早々、現地の洗礼とも言えるカオスな情報量にすっかり当てられてしまった。

地鳴りのような「加油」の大合唱
気温こそ極端に高くはないものの、まとわりつくような湿度のせいで、少し歩くだけでじわじわと汗が噴き出してくる。決戦の地「上海オリエンタルスポーツセンター」は、近代的なオフィス街と閑静な高級住宅街の狭間に位置していた。
巨大な企業名を掲げた高層ビルや外資系ホテル、2021年に開業した高級ショッピングモールを抜けると、巨大なアリーナが姿を現す。綺麗に整備された道路沿いには短い間隔で街路樹が整然と並び、行き交う車やバイクの多くがEVのためか、街は驚くほど静かだ。清掃員の姿も多くあり、街並みはとにかくクリーン。報道陣用のゲートの向かいにも高級マンションが立ち並んでおり、格闘技が行われる場所とは思えないほど穏やかなエリアだった。
しかし、ひとたびスポーツセンターの敷地内に足を踏み入れると、空気は一変した。街灯にはUFCのフラッグがはためき、巨大なUFCのモニュメントが来場者を迎える。視界には中国カラーの真っ赤なTシャツを身にまとったファンたちの姿があふれていた。
カメラやX線検査機による厳重なセキュリティーチェックを抜け、いよいよアリーナ内へ。まず感じたのは、強烈に効いた空調の寒さだった。外の湿気で汗ばんだ半袖シャツのままでは風邪を引きそうなほどで、念のために持参していた長袖のジャケットがここで大いに役立った。
しかし、ひとたび試合が始まれば、そんな寒さなど気にならなくなる。それほどまでに、現地ファンの応援は熱く、いい意味で“異常”だった。
今回のイベントは「中国対世界」というマッチメイクが多かったこともあり、観客は特定の誰かを応援するというより、完全に“中国箱推し”状態。自国ファイターが入場すれば割れんばかりの大歓声と拍手で迎え入れ、対戦相手には容赦のない大ブーイングを浴びせる。
試合中もその声はオクタゴンの選手と連動した。中国選手がパンチを当てれば爆発的な歓声が沸き、被弾すれば一瞬にして静まり返る。ピンチに陥った場面では、選手名ではなく「加油(ジャーヨウ)! 加油(ジャーヨウ)!」という大合唱がさまざまな場所から始まり、地鳴りのように全体に響き渡る。隣に座る記者と話もできないほどだ。さらに、苦しい展開からエスケープしたり、相手のタックルを見事にしのいだりした際にも大歓声が上がるなど、しっかりとMMAの技術と展開を見極めていることも十分にうかがえた。
格闘技イベント「RIZIN」のスター・朝倉海も、当然のごとく大ブーイングで迎えられた。中国のアオリ・チロン(33)との1Rは、お互いにカウンター狙いの静かな立ち上がり。ここでは「加油(ジャーヨウ)」コールは起きず、かわりに日本人女性ファンからの「海、頑張ってー!」という声が会場に響いていた。
フィニッシュは2R・34秒だった。チロンがボディーへの攻撃と勘違いしてガードを下げたところへ、海の左足が顔面を捉える。後退するチロンに海がパンチをまとめてダウンを奪うと、グラウンドでボディへ激しい膝蹴りを連打。レフェリーが試合をストップすると、会場は歓声というよりも、ガヤガヤとざわつくような異様な空気に包まれた。
試合後のオクタゴンインタビューで「勝つことができて本当にうれしいです。どうもありがとうございました!」と英語で喜びを語ったが、観客からはブーイングが起こる。続けて「この階級で僕のストライキングが一番強いということを証明できたと思います」「ビッグファイトを組んで(ほしい)」と力強くアピールした場面でも、会場から拍手が起きることはなかった。
しかし、ここで声を大にして言いたいのは、彼らが決して排他的なわけではないということだ。入場時の大ブーイングには、内心「そこまでしなくても」と戸惑いを覚えたが、試合が進むにつれてその認識は覆された。
激闘の末に中国人選手を鮮やかなKOで沈めたフランチェスコ・ヌッツィ(イタリア)やジュリア・ポライシュトリ(ブラジル)といった“外国人ファイター”たちには、手のひらを返したように惜しみない称賛の拍手が送られた。見事な1R一本勝ちを収めた日本の鶴屋怜に対しても、その圧倒的なフィニッシュを称えるどよめきと歓声が会場を包み込んでいた。
また、この日がデビュー戦だったリュウ・ツァー(中国)にKO負けを喫したものの、逃げずにヒリつくような打ち合いを真っ向から繰り広げたレヴィ・ホドリゲスJr.(ブラジル)にも、健闘を称える温かい拍手が降り注いだ。

記者席がパブリックビューイング化…英雄ソン・ヤドン勝利に総立ち
スタンドの熱気もさることながら、現地記者の熱量にも圧倒された。筆者がこれまで日本で経験してきた格闘技取材のプレスルームといえば、記者会見の質疑応答以外は、パソコンのタイピング音とモニターから流れる試合の音声だけが響く、静かな空間。
しかし、上海は全く違った。
驚いたことに、数人の記者は机にスマホスタンドをセットして堂々とライブ配信を行い、視聴者のコメントを読み上げている。そして何より異質だったのは、記者たちがファンと化し、試合展開に一喜一憂して大声を上げていたことだ。
自国選手のピンチには悲鳴が上がり、チャンスには絶叫が響く。唯一パソコンを開いて黙々とタイピングしていた寡黙なベテラン記者でさえ、ション・ジンナン(中国)が衝撃の失神KO負けを喫した瞬間には「ああっ」と声を漏らし、頭を抱えて机に突っ伏してしまったのだ。
そんな異質なプレスルームの空気が、真の最高潮に達した瞬間がある。メインイベントで行われた、ウマル・ヌルマゴメドフ(ロシア)とソン・ヤドン(中国)のバンタム級マッチだ。
ちょうど朝倉海が試合後会見を終えた直後だった。ケータリングの食事を取る者や、大声で談笑していた記者たちが、一斉に食い入るようにモニターの前に集結した。さきほどまでのガヤガヤとした喧騒が嘘のように静まり返る。筆者も急いで朝倉海の記事を執筆しなければならなかったが、その空気に飲まれ、思わず手を止めてしまった。
結末は、あまりにも衝撃的だった。
1R、ヤドンがテイクダウンを許したシーンでは、部屋中が息を呑むような緊迫感に包まれた。しかし2R開始前、ヤドンがカメラに向かって満面の笑みを浮かべると、プレスルームが「おや?」とざわつき始める。現地記者たちにとっても、まさかの余裕だったのだろう。
そして直後、ヤドンの強烈な一撃がウマルを捉え、失神させたのだ。
その瞬間、現地の記者たちは総立ちになった。「ソン・ヤドーン!!」と口々に絶叫し、隣に座っていた記者は興奮のあまり筆者に倒れかかってきたほどだ。歓喜のまま誰かに電話をかけ始める者もおり、プレスルームがパブリックビューイング会場のようになっていた。
試合から約40分後、大仕事をやってのけたヤドンがニコニコと笑顔でプレスルームに姿を現した。記者たちは割れんばかりの拍手で自国の英雄を出迎える。するとヤドンもその熱気に応えるかのように自身のスマホを取り出し、インカメラで記者たちをバックに満面の笑みで記念撮影を始めたのだった。
すべての取材と会見を終えてアリーナの外へ出たのは、それから数十分後のこと。上海特有のまとわりつくような湿気に、一瞬にしてメガネが曇る。
レンズを拭いながら辺りを見渡すと、驚くほど人がいない。あんなにも熱狂の渦に包まれていたはずの会場周辺に、ファンの気配が全くないのだ。あの凄まじい熱量とソン・ヤドンの劇的勝利を思えば、余韻に浸るファンや出待ちの群衆であふれ返っていると予想していた。しかし、目に映ったのは、行きと同じ静寂に包まれた綺麗な高級マンションと、明かりの落ちたオフィス街だった。そこにあったのは、ただの静かな日常だった。
誰もがスマホで“ライブ配信”をしていたプレスルームの光景をふと思い出す。これだけIT化とデジタル化が進んだ社会では、熱狂を消費するスピードも恐ろしいほど速いのだろうか。そんなことを考えながら、湿った夜風を感じ、静かできれいな帰り道を歩いた。
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