小川直也が語る“伝説の出稽古”の真相と猪木イズム「相手の得意分野で勝たないと意味がない」

“暴走王”小川直也が6日、自身のYouTubeチャンネル「暴走王ch」を更新。今や一部マニアの間で「伝説」化されている、新宿スポーツセンターでの出稽古(合同練習)について振り返った。

「伝説」の出稽古について語った小川直也
「伝説」の出稽古について語った小川直也

「印象に残っていない『伝説』」

“暴走王”小川直也が6日、自身のYouTubeチャンネル「暴走王ch」を更新。今や一部マニアの間で「伝説」化されている、新宿スポーツセンターでの出稽古(合同練習)について振り返った。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「その話は面白いの? 俺からすると、他愛もない話でさ。俺的にはあんまり印象に残ってないんだよ」

 小川直也はそう言いながら、一部マニアの間で「伝説」として語られる「新宿スポーツセンター」での出稽古について言及した。

「伝説化か。なんで伝説化するのか…。ただ単に(その当時の)練習のルーティンの一貫で、たまたまそこに行ったくらいで、あんまり気にはしてないんだけどさ。なんかそこに食いつく(人がいる)んだよね。(そんなに)興味深い話かな?」

 小川としては、そもそもどういう流れでそうなったのかは覚えていないらしいが、詳細を調べていくと、時期は1999年2月のこと。同所で実施されていた、後に格闘技界の中心を担っていく若きファイターらによる合同練習に、小川が出向いた際の話だということが分かった。聞けば当時、小川が主戦場にしていたUFO(世界格闘技連盟)の勢力拡大のために、小川が人材確保を兼ねたスカウト目的で足を運んだ、との説もある。

 そして、そのなかには、後に2001年アブダビコンバット(88キロ未満級)で優勝し、“寝技世界一”と呼ばれることになる、菊田早苗の姿があった。

 小川は明治大の学生時代に、付属高校の柔道部員だった菊田とは面識があり、知らない間柄ではなかった。

 菊田からすると、全日本柔道選手権に7回優勝(日本人歴代2位)し、世界柔道選手権を4回制覇。五輪こそ銀メダルに甘んじたものの、小川の強さが群を抜いていることは承知していた。

 しかも小川は道衣を着てではなく、裸になってのグラップリングの練習において、とてつもない強さを発揮したという。

 そんな状況を踏まえながら、小川はその日にあったことをこう振り返った。

「別に(小川の相手をした格闘家が)弱いって表現をするわけじゃなくて、(そもそも)体格が違うんだもん。菊田だって80キロあるかないかじゃない。俺は100キロ超あったもん。単純にそれは違うよ、カラダの大きさも違うし。(その場にいた選手では)菊田が一番大きい選手だったのかな。(他に)大きい選手がいなくて。小さい選手がいっぱいいたよ。そこに、後に(著名になる)強い選手がいっぱいいたって話なんだけど。覚えてないもん、誰がいたのか……」

 興味深いのは、小川がその話を「佐山さんにその話もしたんだよ」と、当時の上司に当たる初代タイガーマスクこと佐山聡と話していることだろう。

 その際、佐山は小川に対し、「オーちゃん(小川のこと)、(出稽古に)行ったんだって? 全部やっちゃったの? あいつらすぐに極められた極められないって話をするとワーッて広がるから、あんまり言わないほうがいいよ」と伝えたという。

 当時の時代背景を考えると、柔道衣を着用する柔道家から、裸で勝負するプロレスラーになった小川直也の強さは未知数だった。結果的にその出稽古は実力測定の場となり、改めて小川の圧倒的な強さが立証された、ということなのだろう。なにせ寝技の技術はもちろん、重量級の小川があり得ない速さで動く姿にド肝を抜かれた、という話も伝わってきた。

小川直也の強さを広めた一人、“寝技世界一”の菊田早苗
小川直也の強さを広めた一人、“寝技世界一”の菊田早苗

師匠・猪木の「暖簾を汚すわけにはいかない」

 これに関して小川は、「(その頃はまだ)今みたいに『プロレス』『格闘技』じゃなかったじゃない(※完全に分けて語られる前夜だった)。それでも『全部来い! キング・オブ・スポーツ!』って(師匠のアントニオ猪木は明言していた)。そのなかでやっているわけだから」と話すと、「今のほうが楽だぜ。『(両方は)やりません』って言えちゃうんだから」と続けた。

 さらに小川は「プロレスと格闘技は同じもの」と言い続けた、師匠・猪木の「暖簾を汚すわけにはいかない」という意識が強かった、とも語った。

 その上で小川は、自身がプロになってから打撃を習得したことについて触れ、「打撃はどこまで練習するかだと思うよ。イチからどこまで学べるか」「俺も当時、猪木さんから『打撃は大事だよ』って言われていたし。打撃を練習するうちに調子に乗っちゃうんだよ。(不得意の)打撃で勝てるわけはないんだけど、打撃でせっかくここまで練習をやっているから、打撃で勝ちたいよね、ってなる」との見解を述べた。

 実際、PRIDEのリングで実施された、K-1グランプリ94準優勝の実績を持つ佐竹雅昭との一戦(2000年10月31日、大阪城ホール)では、小川が立ち技で佐竹を翻弄する場面が何度も見られた。

 この話を振ると、小川は衝撃的な言葉を口にした。

「勝ちたいじゃない、自分にないもので。投げたり寝技をしたりするのは(試合展開が)もう分かるじゃん。大事なのは、俺が(不得手な)打撃で勝つことが大事っていう位置付けがあるわけ。K-1ファイターには打撃で勝たなければ意味がない(っていう考えが) 俺の(意識の)中には(ある)」

 事実、小川はPRIDE初参戦時の対戦相手だった「腕相撲世界一」の実績を持つゲーリー・グッドリッジ戦(1999年7月4日、横浜アリーナ)では、「(ゲーリーが)腕相撲のチャンピオンなんだから、腕をへし折ってでも勝たなきゃ」と思っていたと明かすと、「彼の力はハンパなかったよ。手首を極めて極める技があるんだけど、ことごとく返された」と話した。

 それでも結果は、小川がゲーリーにV1アームロックで勝利している。

 小川は「ただ勝てばいいっていうのはダメだって猪木さんに言われた」とも話したが、お説ごもっともとは思いつつ、実際にそれを体現できるかはまた別問題になる。

 それでも小川は「相手の得意の分野で上回って勝たないと意味がない」と話し、それが猪木流の「風車の理論」だと断言すると、「その闘い方を猪木さんから叩き込まれている」と証言した。

 さらに小川としては、「最後の最後には寝技がある」と話し、要は寝技を保険として考えていることを明かすと、「だったら(最初は打撃で)行くしかない」と話し、最後は以下の言葉でその思いを口にした。

「予定調和を越えなきゃいけないっていう(プロ)レスラー哲学でいるから」

 すべては師匠・猪木の教え。20年以上前とはいえ、さぞ猪木は鼻が高かっただろうと思われる。

(一部敬称略)

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